
20211031
書くこともないので昨日の続きだけれど、
中野駅と東中野駅の間にある谷戸地区に評論家の小林秀雄と長谷川泰子は住んだ。
泰子の精神不調に耐え切れず、小林は逃げ出した。
その後も泰子は東中野からは離れず、やがて男の子を産む。
そこへ中原中也が顔を出し、名付け親となり、ちょこちょこ面倒をみたりした。
その当時、中原はたぶん中野区桃園町に住んでいたはずだから、東中野までなら間違いなく歩いただろう。
桃園町はいわゆる中野通り五叉路の西側で、東中野は五叉路の東側にある。だからつまり中原中也は五叉路を跨いで大久保通りを往復していた、ということになる。だからどうしたなんだけど、100年くらい前の話です。ローカルな話でした。
おつかれさまでした。
evolucio