10年以上ほとんど小説を読んでいなかったのが、この春から再び読むようになった。
そのきっかけになった又吉直樹、ハン・ガン、荻原浩、角田光代らの作品を読んだあと、自分に小説がなぜ必要になったか、みたいにブログなどに書いた。
絶望や深い悲しみを乗り越えようとする人から学んだ共感した。やりたいことや生きる意味を求めて苦闘する人が何かを見つけることに感動した力をもらった。そんなふうに。
でもこの頃それもちょっとどうだろって気がしてる。むりやり理屈づけてるようで、窮屈だなあって。
自分のすることに、あるいはやってきたことに、だからなんだってと意味づけようとするおれの癖、傾向。
これがおれから自由さを奪ってる。楽しめなくしている。
ここ数日ハン・ガンを途中で閉じ島本理生「ファーストラブ」を読んだことは書いたが、続けて「イノセント」を読んだ。登場人物に共感したり感動はしなかったが、2人の男と女の変化する矛盾した心理や官能的な性描写に引き込まれた。
ただ面白く読んだ、でいいじゃないか。学んだとか共感したとか、そんなことがなくたって。小説を読めた楽しめたで。
意義があるから何かをするんじゃなくたっていいだろう。
この先の人生だって、窮屈に考えなくても。なんか意義あることをしなくちゃなんて思わないでいいだろう。