トマ・ピケティ(山形浩生・森本正史訳),2023,資本とイデオロギー,みすず書房.(5.8.24)
注釈を含めると、優に1,000ページを超す大著。
これ以上の大著となると、アイン・ランドの肩をすくめるアトラスくらいしか思いつかないが、小説と学術書はちがう。
もちろん、本書の方が、全部読みとおすには、より強靱な忍耐力を必要とする。
『21世紀の資本』よりも、時間的にも空間的にもよりスケールが大きい議論が展開されている。
中世の「三層社会」──聖職者、軍人、庶民の三層より成る、近代初期の「所有権社会」、奴隷制と植民地主義、社会民主主義と共産主義、ハイパー資本主義、フランス、ドイツ、イギリス、スウェーデン、米国、日本、中国、インド、ブラジル等々、縦横無尽に時空を飛び越え、格差の拡大、縮小、そして再び拡大の歴史を論じ尽くす。
ピケティの基本的な主張は、 『21世紀の資本』と変わっていない。
累進資産税、相続税、所得税、法人税、炭素税、金融所得税の強化、若年層への一時的ベーシックインカムの支給、経営組織のマネジメントへの労働者(労働組合)の参画等々、どれも賛同するほかない主張だ。
20世紀の歴史と共産主義の大惨事を見れば、今日の格差レジームとそれが正当化されている方法の慎重な検討がとても重要となる。なによりも、どんな制度的な仕組みや社会経済的なまとまりが、人間と社会を真に解放できるかを考えなければならない。格差の歴史は、人々の抑圧者と人々の誇り高い守護者の永遠の衝突には還元できない。そのどちら側にも、高度な知的、制度的な構築物が見られる。たしかに、支配集団の側の構築物には、決して偽善的な部分がなかったわけではないし、権力維持の意志も反映されていたが、それでも注意して検討するべきものだ。階級闘争とはちがい、イデオロギーの闘争は共有された知識や経験、他人への敬意、熟議、民主主義を基盤にしている。公正な所有権、公正な国境、公正な民主主義、公正な税金や教育について、絶対的な真理を占有する者が現れることは決してない。人間社会の歴史は公正の探究と見なせる。歴史体験と個人体験を詳細に比較し、できる限りの広い熟議を行うことだけが、この方向への進歩を可能にする。
それでも、イデオロギー闘争と公正の探究のためには、立場を明確に定義し、想定した対立を明示しなくてはならない。本書で分析した経験に基づき、資本主義と私有財産を超克し、参加型社会主義と社会連邦主義に基づく公正な社会を確立することは可能だと、私は確信している。その第一歩は、社会的、一時的な所有権レジームを確立することだ。これには労働者と株主の権限共有と、議決権の上限設定が必要であり、また、累進性の高い資産課税、ユニバーサル資本支給、資産の永続的な循環も求められる。加えて、累進所得税と集合的な炭素排出規制を設けて、そこからの税収を社会保険、ベーシックインカム、エコ社会への移行、真の教育的平等の財源にしよう。最後に、グローバル経済を共発展条約によって再編し、条約の核心に社会、税制、環境の公正についての定量的な目的を置き、その達成を貿易と金融フローの条件にすべきだ。この法的枠組みの再定義には、既存条約の一部、とりわけ1980年代と1990年代に導入され、こうした目標を阻んできた資本の自由移動に関する条約を破棄し、金融透明性、税制協力、超国家民主主義に基づく新しいルールで置きかえる必要がある。
こうした結論の一部は急進的に思えるかもしれない。だが実際にはこれらは、18世紀末以来、法、社会、税制システムの根本的な転換を通じた、民主的社会主義を目指す運動に連なるものだ。20世紀半ばの大きな格差縮小を可能にしたのは社会国家の形成であり、これは、ある程度の教育平等と多くの急進的なイノベーション、たとえばゲルマン北欧諸国の共同経営や英米の累進課税などに基づいていた。1980年代の保守革命と共産主義崩壊によって、この運動は遮られ、世界は自律的な市場を無限に信じ、財産を準神聖視する新時代に入った。社会民主主義連合は、貿易の国際化と教育の高等化の時代に、国民国家の枠組みを乗り越えて政策を刷新できなかったため。この戦後の格差縮小を可能にした左派―右派の政治体制は崩壊した。だが格差の歴史的拡大、グローバル化の拒絶、新しい形のアイデンティティ的引きこもりという課題に直面したことで、規制緩和されたグローバル資本主義の限界が2008年の金融危機以来、ますます認識されるようになった。人々は再び、もっと平等で、もっと持続可能な新しい経済モデルについて考え始めた。本書での参加型社会主義や社会連邦主義の議論は、世界各地で見られる議論の進展を取り入れて、より広い歴史的視野に置き直したものにすぎない。
だが本書で検討した格差レジーム史は、こうした政治―イデオロギー的変化を決定論的に見てはいけないことを示している。複数の道筋が常に可能であり、その道筋は短期的な出来事の論理と長期的な思想発展とに関連したパワーバランスに依存している。こうした思想発展が多くのレパートリーを生み、そこから危機の瞬間に広汎なアイデアが引き出される。万人の万人に対する競争に闇雲に向かい、税制と社会政策のダンピングの新たな彼がやってくるリスクは、残念ながらかなり現実的であり、ナショナリズムが激化しアイデンティティが硬直化する可能性もある。こうした動きは、すでに欧米やインド、ブラジル、中国で目に見えるものになりつつある。
(pp.926-927)
富裕層はドナルド・トランプに象徴される「商人右翼」、リベラルはヒラリー・クリントンやシェリル・サンドバーグに象徴される高学歴者中心の「バラモン左翼」と化し、両者による社会の分断が加速している。
これは、米国に限ったことではなく、グローバルなトレンドだ。
おそらく、ピケティほど、事態を深刻に捉えている人はほかにいないだろう。
スゴいと思うのは、それでも、なにをどう変えていくべきなのか、ブレずに主張し続けていることだ。
本書には、一貫して、「あきらめてはいけない」というメタメッセージが込められているように感じた。
ベストセラー『21世紀の資本』を発展継承する超大作、ついに邦訳。《財産主義》という視点から、三機能社会、奴隷制社会、フランス革命、植民地支配から現代のハイパー資本主義まで、巨大なスケールで世界史をたどり、イデオロギーと格差の関係を明らかにする。さらには《バラモン左翼》と《商人右翼》の連合に囚われつつある現代民主政治を分析。労働者の企業統治参画と累進年次資産税など、新たな公正な経済システムを提示する。
目次
第1部 歴史上の格差レジーム
三層社会―三機能的格差
ヨーロッパの身分社会―権力と財産
所有権社会の発明
所有権社会―フランスの場合
所有権社会―ヨーロッパの道筋
第2部 奴隷社会、植民地社会
奴隷社会―極端な格差
植民地社会―多様性と支配
三層社会と植民地主義―インドの場合
三層社会と植民地主義―ユーラシアの道筋
第3部 20世紀の大転換
所有権社会の危機
社会民主主義社会―不完全な平等
共産主義社会とポスト共産主義社会
ハイパー資本主義―現代性と懐古主義のはざまで
第4部 政治対立の次元再考
境界と財産―平等性の構築
バラモン左翼―欧米での新たな亀裂
社会自国主義―ポスト植民地的アイデンティティの罠
21世紀の参加型社会主義の要素