「日常」というアニメを見た以来、あの目のない達磨に気に入って、今日ようやく日本人の先生と達磨について話す機会があった。
達磨は仏教の中の人物で、元々中国の人だそうで、その話をきいた後、自分の少ない知識に悔しく、それにこの達磨の質問をしたこと自身に恥
ずかしかった。
丸形の達磨は元々達磨祖師という人をまねて創造されたものだ。しかしこんな形になる原因は何だろう?先生はそう答えた。
達磨は誰もいない場所で一人で何年か、何十年か、さらには何百年の時間をかかってずっと動かず座って修練していた。全然動かずが原因で、
長い時間をたつと、足が歩けるかどうかの問題ではなく、足がなくなってしまった。外見を見ると、まるで丸の形の人ようで、従って足のない
丸形の達磨が誕生した。
とはいえ、今の達磨はもう達磨祖師の意味から離れ、今や人を励まし、人に動力を与えようとするようにシンプルになってきた。瞳がないのも
それのためで、人が自分の目標を出来上がった時に画かせるものだ。