大生命の方程式

人間から新人類へと進化と次元の仕組み。
人間能力が開化する時。
炭素系人間から珪素系人間にと変身し新人類と成る。

力ルマの法則 その8 超人*グンダリニー;錬金炉

2009-07-18 10:01:26 | カルマの法則

カルマの神々
が喜びや悲しみ、
或いは好機会や不幸を
人に与えようとも、
一つのことしか教えて
居られないのである。
それは、現段階の人生に於ける
人間の目的は幸や不幸という
ことではなく原型を
完成させるということである。
後に人が遂にその原型を
実現した時には、
言いつくせない程の至福が
働きかけて来るだろう。
しかしその時までは人間に経験を
重ねて行くようにせき立てるのは、
カルマの神々のつとめなのである。
接合子(胎児の
最初の細胞であって、
肉親によってつくられた二つの
生殖細胞の結合に
よって出来る)が
出来ると、
魂はまだ自分で因子を
選ぶことは出来ないので、
カルマの々が因子を選んで下さる。
若しその魂の進化の
次の階段が何か特別な天賦、
例えば音楽の天分のような天賦を
発達させることになっているならば、
カルマの神々はその魂の為に
適切な因子を選ぶのである。
音楽家というものには異常な程、
感受性の強い神経組織と耳の細胞の
特別な発達が必要である。
それでカルマの神々は
胎児がつくられる時にそれに
適した因子を撰び出すのである。
同時に、
もしもその人の内部力が
ハンデイキャップによって目ざめ、
その性質が苦しみによって
清められるとするならば適当な因子、
例えば、生殖力の欠乏とか、
病気に対する抵抗力の欠乏とかが
あらわれて来るだろう。
また、
もしも前世で数学者だった魂が、
今生では数字の
天才となる筈だとすると、
数学的脳髄をつくる
接合子の中の因子、
将来数学の天才となる
胎児の接合子が成長するように、
撰び出されるのである。
魂の仕事が
どんなものであっても、
その仕事に適当な因子が
カルマの神々によって
選ばれるのである。
新しい土地の開拓者には
生殖力が旺盛に与えられ、
見えない者と感応して人々を
助けることの出来る者には
心霊的性質が与えられ、
苦痛にもまれて生長すべき者には、
不具な機能が与えられるなど、
カルマの神々はその人、
その人にカルマを
分配されるのである。
無限の同情と智恵を以って、
髪毛一すじ程も
正義からはずれることなく、
カルマの神々は、
一つの魂の為には天才に
ふさわしい肉体を与え、
或る者にはのろまなりの
肉体を与えるのである。
人を仕合わせにしたり、
不幸にしたり、
父は善くしたり
悪くしたりするのは、
カルマの々の義務ではない。
人間がその原型に一歩でも
近づくように守護するのが、
唯一の義務なのである。
徳になること、
損になること、
また喜びと苦しみ、
好機会や窮乏というようなものは
魂自身が自分の一時的な
住居をつくる
建築材料のようなものである。
カルマの神々は
余計なものは何も加えず、
又、勝手に何もへらすことはない。
ただ魂のつくる力を
調節するだけである。
そして、人間究極の運命、
即ちその人の原型が、
生死の轍を踏んで行くにつれ、
出来るだけ早く達成、
できるようにされるのである。
しかし、
我々は個人の為に選ばれた
この“運命”は絶対的に
固定したもので
変えられないものだと
思ってはいけない。
人間の時には、
環境へ普通でない反発をして
自分の運命を変えることが出来る。
例えば、目に見える環境、
見えない環境がその人の力に余る
悲惨なもののように思えても、
人間の運命のプランの中には
自殺ということはないのである。
その個人の為につくられている
プランはいつも、
苦しみ、
悲しみ、
悩みを乗り切って
絶えず努力することであって、
そうしたものに
屈服することではない。
同じように個人は自分の為に
特に用意されたわけではない機会を
掴むこともある。
例えば、或る宗教の教師は、
見かけは特に宗教
教師らしくなくても、
教師らしくすることはできるし、
自分の為に新しい機会を
掴むことも出来よう。
また、或る人のカルマとしては
予想されてないのに、
他の人の行為によって調子を
狂わされたカルマも少くない。
このように、
個人にとって都合のよい事だろうと、
不都合な事だろうと、
実際に働いていないカルマの
大貯蔵がいつもあり、
新しいカルマが
この貯蔵から差し引かれたり、
加えられたりする。
それで、最終的には、
えこひいきや不公平が
あるわけではないのである。



最新の画像もっと見る