同級生の友人が以前、

孫たちが通う保育園の園庭の真ん中に

ぽつんと切り株だけが残っている園庭。



見渡せば春のお花たちがあちこちに。
「私、会いたい人には会っておくの」と
言っていた言葉が妙に頭に残っている。
私たちはもうだいぶ人生のゴールが
見えて来ている年齢だけれど、
夫の闘病生活を思い出すにつれ、
「いつかやろう」「そのうちやろう」は
実現せずに終わってしまう可能性が
日に日にUPして行く年代なのだ。
日々の生活に追われて、
忙しさやめんどくささを理由に
後回しにしていることが山積みだ。
昨日、夫が亡くなって以来、毎月通院して
お話を聞いていただいている
精神科の先生と
「どう生きるか」「どう死んでいくか」の
話になり、
自分の気持ちを改めて見つめてみた。
どの人にも命の期限があり、
誰しもが死に向かって歩いているわけだけれど、残りの歩数で
「やりたいこと」
「やらねばならないこと」の
優先順位を自分でつけなければいけないな、と強く思ったわけです。
「いつか」「そのうち」は、
きっとやらずに終わってしまうに違いない。
急激に体調崩して、
「いつかやりたいこと」や
「そのうちやりたいこと」の
ほとんどが出来なかった夫の姿を思い出すと、
反面教師となり、今の私に何が大切かを
夫が伝えてくれていると思えます。
自分の人生は、自分できちんと後始末してから終わらせたいと、
強く願う62歳です。

孫たちが通う保育園の園庭の真ん中に
どーーーんと枝を広げていた
桜の大木。
幹の中が腐っているとのことで
今年の開花を待たずに、切られてしまいました。

ぽつんと切り株だけが残っている園庭。
あんなに美しい、見事な桜の花を
咲かせてくれて、
子供達も木登りして、
おそらく何十年もここの保育園の
子供達の成長を真ん中から見守って来てくれた桜の木。
とってもとっても寂しい。
でも子供達は「桜さんとのお別れ会」をし、
切り株になってしまった桜の木の上に
何人も乗っかってみたり、
切り株をテーブルにしておままごとしたり。
ちゃんと楽しみ方を知っていました。
切り落とした枝もきっとそのうち、
何かの遊具になって、
また子供達と一緒にこの園庭で
子供達の成長を見守ってくれることでしょう。



見渡せば春のお花たちがあちこちに。
桜の木や花たちに、
「どう生きて行くか」
を見せてもらった1日でした。
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