天気が良かったので、出掛けてまいりました。
ただ、どうせ出掛けてブログに記事として載せるのなら、〝東京らしさ〟というのを出したいですよね。
なので、東京(江戸)の歴史の一部を辿ってみました。
11時頃、我が家を出発し、向かった先は、江戸時代からの桜の名所の江戸川橋公園。
この公園を走っていくと、椿山荘の下に出ます。
ここは、南北朝の頃から椿が自生する景勝地で〝つばきやま〟と呼ばれ、江戸時代初期には、松尾芭蕉が神田上水水役として隣接する関口竜隠庵(のちに関口芭蕉庵)に住んでいました。
明治になり、長州・松下村塾出身で騎兵隊で活躍し、後の〝国軍の父〟と呼ばれた山縣有朋氏が買い取り、この場所を〝椿山荘〟と命名・・
ふぅ・・・面倒だ。
柄にも無い説明など、止めにしましょう。
で、神田を通り抜け、大手町を過ぎ、
改装中の東京駅を過ぎると、通り慣れた有楽町仲通。
此処まで来ると、やはり通い慣れた愛宕神社はすぐ。
ここは、ワインやら出世の石段で有名ですが、歴史的に見ると、桜田門外の変で井伊直弼を討った水戸浪士が集まった場所だったり、勝海舟と西郷隆盛がこの神社より江戸の街を見下ろし、無血開城への道を開くきっかけとなった場所だったりするんです。
今回は、NHK博物館への坂道を上っていきました。
山の全体像は、こんな感じ。
このトンネルを抜け、一本目を右に入ると杉田玄白の墓があります。
つかの間の感動、手を合わせ瞑目。
失礼と思いながら、写真を撮ってしまいました。
この辺は以前も書きましたが、森ビルに開発されまくっています。
この日の目的地は、赤穂浪士が眠る泉岳寺。
東京タワーを過ぎ、こちらから断った慶応大学を尻目に進みます。
↑ この写真の右側に、大石内蔵助の銅像。
実際にお墓の前に立つまでは観光気分だったのですが、やはり現場に来ると、そんな浮かれた気分は何処かへ吹き飛んでしまいました。 なので、写真は有りません。
泉岳寺に寄ったあとは旧法務省を写真に収め、
国会議事堂でルマ子の記念写真。
市ヶ谷の防衛省の前を通り、本当に腹を切った人に想いを巡らせ、早稲田を通り帰ってきました。
国会議事堂から写真が無いのは、3時間半もペダルを踏んでいて余裕が無いから・・・
相変わらず休憩が取れない3号でした。
慶応をお断りしたんですか。
なるほど、慶応ボーイぽさを感じないはずです。
街を走っていると、ウインドに映る姿に、つい、目が行ってしまいます。