宮沢賢治のイーハトーブを体感し、盛岡市民のソウルフードを味わった後は、石川啄木新婚の家へ行ってみます。
何度か訪問している盛岡で、いつもでんでんむし号でスルーしてしまっていた石川啄木新婚の家。
今回は絶対に光原社と石川啄木新婚の家は制覇する!と決めていました。
でんでんむし号は啄木新婚の家の前バス停に停車します。
盛岡駅 → 【バス5分】 啄木新婚の家口バス停 → 【徒歩1分】 啄木新婚の家
盛岡駅から光原社から私は徒歩で福田パンへ行き、福田パンから徒歩で啄木新婚の家まで行きました。
盛岡駅⇒光原社(徒歩10分)⇒福田パン(徒歩8分)⇒啄木新婚の家(徒歩5分)位だと思います。
なんと啄木新婚の家は無料開放されています。
無料開放されているだけでなく、管理する方が常駐されていない?
勝手に入って買ってに出て来るというなんとも無断で他人の家に入った感覚。
啄木新婚の家
啄木新婚の家
〒020-0021 盛岡市中央通三丁目17-18
利用時間
4~11月 8:30~17:00
12~3月 9:00~16:00
定休日
12/28~1/4
11月最終週~3月は火・水曜日
入場料金 無料
019-624-2193
ホームページ
http://www.odette.or.jp/launch
盛岡駅 → 【バス5分】 啄木新婚の家口バス停 → 【徒歩1分】 啄木新婚の家
石川啄木
盛岡市出身の詩人。
盛岡尋常中学校(後の盛岡中学校)金田一京助や後の妻、堀合節子らと出会ったそうです。
『明星』に傾倒し、上級生である野村胡堂・及川古志郎らの影響を受けて文学に目覚め、明治35年中学校を自主退学し上京。
与謝野鉄幹夫妻を訪ねて指導を受け、明治38年『啄木』の名で詩集『あこがれ』を刊行し、同年に文芸誌『小天地』を創刊、経済的に行き詰まり1号で終刊となってしまいます。
明治39年岩手県渋民村に戻り、母校の渋民尋常小学校の代用教員となりますが、翌年北海道行きを決意。
辞職を申し出て引き止められるものの、ストライキ騒ぎを指導し免職となり、函館、札幌、小樽、釧路と漂泊の生活を送ることになります。
石川啄木は私のふるさと函館と縁の深く、石川啄木小公園が大森浜にあり、何度か行っています。
節子さんと結婚し、別居しながらも啄木は函館青柳町で代用教員をします。
そしてそのとき片思いの女性に出会うそうです。
人の人を愛する気持ちというのは、誰かと結婚していようが、誰かと交際していようが関係なく生まれる感情なのでしょう。
人を愛するという気持ちは本当に難しく、一緒にいなくてもたった一日の恋でも人には一生心に残る恋があるようです。
その昔、「マディソン郡の橋」という小説がベストセラーになった頃は、私は理解できなかったのですが、今はそんな恋もあるのだと理解できるようになりました。
田舎に行くとまだ残っているような割と新しい気がする啄木新婚の家。
文机がちょっと時代を感じるかな。
私も小学校に入る前はお下がりの文机を使っていた記憶があります。
桜の季節の盛岡は石割桜なども有名ですが、新緑の盛岡もなかなか良いなと思いました。
真冬の盛岡は行ったことがないのですが、とても寒いのだそうです。