11月号より
寄り添う事の難しさ
訪問看護を始めて12年、高齢化は着実に進んでいる。
年齢に伴う変化は、ケースを通してやがて訪れる自分の老後を考えさせられる。
その思いは、年齢に比例して増して来た。
できていた事ができなくなる不安。
覚えられた事が覚えられなくなる失望感。
諦める事の多い中でその人らしく、その人の生き方に寄り添う事は、その人の生きて来た人生(歴史)そのものを肯定する事に繋がる。
それは、障害が有る無しに限らず我々も同じである。
その人の最後の自己表現(主張)をどんなふうに見守れるのか(看取りを含む)。
そのケースによって、また、生活する環境が異なる地域によって多様化する。
長生きしたいと言う人。楽に逝きたいと言う人。孤立して安心する人。逆に不安になる人。サービスに乗れる人。乗りたくない人と様々です。
今年90歳になった父親を看取りやっと一人になれて自由になったかと思った一人息子60歳Y・Sさんが、新盆を前に事故の後遺症が悪化(歩行困難)して一般病院に入院し、介護保険の申請をした。
両親の面倒(母は先に他界)を看る為、早朝2時には起床して深夜電力で洗濯をする事が日課だった。
「仕事」(彼にとっての生甲斐)を一つでも済ませておけば、何か急な出来事が起きても対応できる(心配だから)と考えたからだ。
深夜電力も契約はしていないが金銭的に安い(節約と思い)とだけ思い込み続けていた。
その為、肝心な服薬は4日に1回の服薬方法を勝手に(本人は調整服薬と称し正当化していた。)実施していた。
生活にイベントは付き物です。お金のやり繰りに大変だったY・Sさんは、幾度も周囲の人達や、父と言い争いになり、時には大喧嘩を繰り返した。
当院への初回の入院については、今でも不満があり、事が発生する度に文句を訴えている。
退院して施設に入所するか、自宅を改修して一人暮らしをするか迷ったが、ヘルパーを利用しながら自宅で生活することを選んだ。
今年で54歳になる歌が大好きな男性K・Tさんは、3歳年上の兄と二人暮らし。
本人は「100歳まで生きたい。」と言っているが、兄からは、
「そんなに長生きして迷惑かけんな、俺より先に逝け。」
と言われている。
二人の姉達からは、
「兄に迷惑かけてばかりいるのなら入院していな!」
と言われる。
昔から自信が無い事で、世話になっている兄の為に兄が仕事の時には毎朝弁当を作り、掃除洗濯を彼なりに頑張って来た。
その為か、夜は兄が寝てから布団に付き、午前4時前には必ず起床する生活を続けて来た。
今回の退院時の約束で生活習慣の見直しを提案してやっと早寝をしてくれるようになり、睡眠時間を確保する事が出来たが、自信の無さと人間関係が苦手な事は続いている。
しかし、周囲の視線を訴える事は減った。
家族が全て統合失調症で、80歳を過ぎた父K・Tさんの介護と、本人の病状、生活、金銭への不安、地域の人間関係の疲れを抱え、それらを自分なりに管理して安心を得ようとする53歳男性K・Kさんは、それが逆に負担になり苦しんで来た。
それが被害妄想にまで発展しながらも生活して来たが、勝手な管理が災いして被害妄想と体調が悪化。
本人は当院に入院し、父は正しい管理で改善した。
しかし、K・Kさんは服薬に対して納得せず、勝手な思い込み(妄想)を持ったまま退院した。
昨年の事ですが、93歳だったF・Mさん(女性)の母が、12月の訪問時まで、
「ここまで良くなったのは皆さんの御蔭です。これからもお願いします。」
と言っていた。
しかし、大晦日に年越しのそばを食べて、眠るように逝ってしまった。
それまでは、母に愚痴を聞いてもらっていたF・Mさん64歳は、その後弟と二人暮らしになった。
以前は、言いたい事が言えない関係だったが、今は、まるで母親になったかのように弟を心配しながら家事をこなし、デイケアを利用して生活をしている。
看護者は、正しい事を知識と経験で学んでいる。
だから、良かれと思い、それを失敗させないようにと相手に押しつけてしまう。(管理する事で自分が安心できるから。)
そんな時に反発を買ってしまう。私もそれで何度も苦い思いをして来た。喧嘩にもなった。
その人がやりたいように見守る事。
「自主性を尊重」する事。
させてあげた事で失敗しても見捨てず、こちらの心配に気付いてくれるまで付き合う事で、より関係性は深まると思う。
大切な事は、日々の関係性の中で、「思い」を「聞く事」だと思う。
本音が出て来ない時は、訴えの断片から感じ取る事だ。
一人一人の歴史を振り返りながら、毎日向き合うことだ。
その人が何故そんな言動に走るのか。歪んだ考えになってしまうのかを、ただ見ているのではなく(見るcf看る)、どうしてそうなのか。なんでそんな事を言うのか。
常に観察し、洞察して、その人にとっての「一番を」一緒に擦り合わせながら探す事だと思う。
寄り添う事の難しさ
訪問看護を始めて12年、高齢化は着実に進んでいる。
年齢に伴う変化は、ケースを通してやがて訪れる自分の老後を考えさせられる。
その思いは、年齢に比例して増して来た。
できていた事ができなくなる不安。
覚えられた事が覚えられなくなる失望感。
諦める事の多い中でその人らしく、その人の生き方に寄り添う事は、その人の生きて来た人生(歴史)そのものを肯定する事に繋がる。
それは、障害が有る無しに限らず我々も同じである。
その人の最後の自己表現(主張)をどんなふうに見守れるのか(看取りを含む)。
そのケースによって、また、生活する環境が異なる地域によって多様化する。
長生きしたいと言う人。楽に逝きたいと言う人。孤立して安心する人。逆に不安になる人。サービスに乗れる人。乗りたくない人と様々です。
今年90歳になった父親を看取りやっと一人になれて自由になったかと思った一人息子60歳Y・Sさんが、新盆を前に事故の後遺症が悪化(歩行困難)して一般病院に入院し、介護保険の申請をした。
両親の面倒(母は先に他界)を看る為、早朝2時には起床して深夜電力で洗濯をする事が日課だった。
「仕事」(彼にとっての生甲斐)を一つでも済ませておけば、何か急な出来事が起きても対応できる(心配だから)と考えたからだ。
深夜電力も契約はしていないが金銭的に安い(節約と思い)とだけ思い込み続けていた。
その為、肝心な服薬は4日に1回の服薬方法を勝手に(本人は調整服薬と称し正当化していた。)実施していた。
生活にイベントは付き物です。お金のやり繰りに大変だったY・Sさんは、幾度も周囲の人達や、父と言い争いになり、時には大喧嘩を繰り返した。
当院への初回の入院については、今でも不満があり、事が発生する度に文句を訴えている。
退院して施設に入所するか、自宅を改修して一人暮らしをするか迷ったが、ヘルパーを利用しながら自宅で生活することを選んだ。
今年で54歳になる歌が大好きな男性K・Tさんは、3歳年上の兄と二人暮らし。
本人は「100歳まで生きたい。」と言っているが、兄からは、
「そんなに長生きして迷惑かけんな、俺より先に逝け。」
と言われている。
二人の姉達からは、
「兄に迷惑かけてばかりいるのなら入院していな!」
と言われる。
昔から自信が無い事で、世話になっている兄の為に兄が仕事の時には毎朝弁当を作り、掃除洗濯を彼なりに頑張って来た。
その為か、夜は兄が寝てから布団に付き、午前4時前には必ず起床する生活を続けて来た。
今回の退院時の約束で生活習慣の見直しを提案してやっと早寝をしてくれるようになり、睡眠時間を確保する事が出来たが、自信の無さと人間関係が苦手な事は続いている。
しかし、周囲の視線を訴える事は減った。
家族が全て統合失調症で、80歳を過ぎた父K・Tさんの介護と、本人の病状、生活、金銭への不安、地域の人間関係の疲れを抱え、それらを自分なりに管理して安心を得ようとする53歳男性K・Kさんは、それが逆に負担になり苦しんで来た。
それが被害妄想にまで発展しながらも生活して来たが、勝手な管理が災いして被害妄想と体調が悪化。
本人は当院に入院し、父は正しい管理で改善した。
しかし、K・Kさんは服薬に対して納得せず、勝手な思い込み(妄想)を持ったまま退院した。
昨年の事ですが、93歳だったF・Mさん(女性)の母が、12月の訪問時まで、
「ここまで良くなったのは皆さんの御蔭です。これからもお願いします。」
と言っていた。
しかし、大晦日に年越しのそばを食べて、眠るように逝ってしまった。
それまでは、母に愚痴を聞いてもらっていたF・Mさん64歳は、その後弟と二人暮らしになった。
以前は、言いたい事が言えない関係だったが、今は、まるで母親になったかのように弟を心配しながら家事をこなし、デイケアを利用して生活をしている。
看護者は、正しい事を知識と経験で学んでいる。
だから、良かれと思い、それを失敗させないようにと相手に押しつけてしまう。(管理する事で自分が安心できるから。)
そんな時に反発を買ってしまう。私もそれで何度も苦い思いをして来た。喧嘩にもなった。
その人がやりたいように見守る事。
「自主性を尊重」する事。
させてあげた事で失敗しても見捨てず、こちらの心配に気付いてくれるまで付き合う事で、より関係性は深まると思う。
大切な事は、日々の関係性の中で、「思い」を「聞く事」だと思う。
本音が出て来ない時は、訴えの断片から感じ取る事だ。
一人一人の歴史を振り返りながら、毎日向き合うことだ。
その人が何故そんな言動に走るのか。歪んだ考えになってしまうのかを、ただ見ているのではなく(見るcf看る)、どうしてそうなのか。なんでそんな事を言うのか。
常に観察し、洞察して、その人にとっての「一番を」一緒に擦り合わせながら探す事だと思う。