今日から新年度であったり、新元号の発表があったり、エイプリルフールであったり・・・。
そんな4月1日です。
早いものです。
ということで「あっという間」に月日は流れましたが・・・
「昨年末に引き続き」座談会の模様part2を更新致します。
※本文中の今年は(2018)を指し、来年は(2019)去年は(2017)になります。
【平井】5月ぐらいからアートフェスタの準備をしてきて、8月にTURNフェスがあって、そこからまたアートフェスタの準備。大変だったんじゃないですか?
【上原】アートフェスタの準備自体は4月5月ぐらいから始まって、TURNというのはその頃にオファーがあったんです。
僕としては、袋田病院の活動が紹介してもらえるんであれば、もちろんものすごく意味があることなんだけれど、デイケアの人からも理解を得られないと駄目だし、さらに通常業務もあるわけですから、まずデイケアスタッフに話をしたんです。そしてアートフェスタとTURNという大きなイベントを二つ抱えて、あれもこれもできないとも思ったんです。
そこで、僕にとってはアートフェスタっていうのが本番であってTURNフェスっていうのがプレという位置づけにして、ゴールとしてのアートフェスタだと考えたんです。
さらにTURNの時は予算を頂いたんですが、その際デイケアのスタッフと話しあって、ツアーとしてバスを出してもらってメンバーさん皆にも来てもらうっていう、そういうのを全部パッケージングしたんです、レクの一環として。なかなかそういう機会がないじゃないですか。それで、僕だけがこういう事やってるんじゃなくて、皆でやっているんですよ、皆もやっているんですよって、デイケアスタッフとメンバーに伝えるように意識してたんです。こういう事を僕は大事だなと思って。
というのはアンケートを最近職員に書いてもらったんですよ。
それが今まで来場者に書いてもらっていたんだけれども、職員にアンケートを取るという事をしていなかったんで、これは大事な事なのに忘れちゃっていたなと。
【平井】僕だけがやっているわけではなくて皆で、という部分が、アートフェスタのアンケートにつながっていったということですか?
【上原】アートフェスタいいなぁと思う職員もいた。でも何割かはアートフェスタにたいして嫌悪があるという人もいた。僕の中で職員さんに「アートフェスタこんなことをやるんだよ」っていうのを伝えられないまま続くのかと思ってたんですよ。
でも職員さんが考えていることも、僕は知らないのではないのかと気づいた。アンケートはめちゃくちゃ怖かったんですけど、今の僕にはいろんなことの理解のために大事なんじゃないかって思ったんですよ、何書かれるか分からないから怖かったんですけどね。でも今は、アンケートを取らないと多分これから持たないと思ったんですよ。例えば会議で、いいことは聞こえてきますものね。でも悪いことは聞こえてこない。
アートフェスタに興味がないとか、アートフェスタをもうやってくれるなとか、そう思っている人もいるかもしれない。そう思って、アンケートを取らないと僕が見えていなかった事が分からないと考えたんです。声を拾って行かなきゃなって思ったんですよ。これは今回初めて行なった試みなんですけど、まあ簡単に言っちゃえばコミュニケーション不足だった、今までが。だからアンケートを取ることで課題が見えてくるようになった。
【的場】それで何か手応えを感じているかな?
【上原】感じてますよ、(否定的な意見があってもアートフェスタの意義は)ゼロにはならないです。ただ誤解されてるところもあるなと、それは努力次第で変えることができることだと思っています。
現場はハードじゃないですか、その上でお願いするのも・・・。こっちは忙しいのにっていう気持ちあるはずです。それから僕は医療の現場とか知らないわけじゃないですか、なのにお願いするというわけですから。だから僕のような立場の人間からこうしましょうって言われたら結構色んな感情とか出てくると思うんですよ。
【的場】アンケートをどう読み解いて来年以降どう活かすかだね。
【上原】僕が見えていない人を知ることで僕が成長することにもなるのかな。
【的場】どんな意見も何らかの形で取り込んでいかないとね。
【上原】僕はアンケートとって、良くても悪くてもすごく意義があると思っていて、もっと言うと2013年から2018年までアンケート取っていたらもっともっと良かったと思うんです。なぜかと言うと、こういう風にアートに関わって職員の意識がこういう風に変わって、来場者の意識もこう変わったとか、すごく多面的な面で変化が見られるから。良くても悪くても来年さらにどう変わったか比較できるんですよね。
来年50%の人が関心持ってもらったら、その次の年は55%を目指す。そして、じゃあ45%の人はなぜ未だに無関心なのかということも考える。
【的場】では実行委員長としては、アンケートも踏まえて今年のアートフェスタってどうだった?
【上原】何回か重ねてこれぐらいのクオリティーでやって行けばいいんだ、って言うそういう年があって。あれを目指していこうこれを目指して行こうってのがあれば底上げみたいなものができてくる、それがなければ多分他の医療福祉でやっている塗り絵して終わりコラージュして終わりていうレベルで終わっちゃうと思う。
イメージというものを毎年アートフェスタで共有してると僕は思うんですけど、
だから関わってくるメンバーさんもなんかこのアートフェスタに参加したい、
このアートフェスタだから中途半端ではなくちゃんと作品を持ってきたい、意気込みは変わってくるんですよね。僕らがもしそれまでそれに気づいていなければ、まあ病院のあれでしょうと言って、なってしまうと思うんですよ。
【平井】上原さんがそれだけ熱意を持って行ってなかったら、作品を持ってくる人も熱心には持ってこないですよね。だからそういうことも含めて去年と今年どういう風に違うんですか?
【上原】去年は僕はそこまで関わっていなかったんですよ。
比較対象がないじゃないですか、僕が毎回関わってばかりでは。皆がやりたいことがある、僕が持ってきたイメージもあると。
でどっちも比較して初めてコチラがいい、あっちがいいって。
2017年僕が抜けることで比較対象ができるようになるからそうしたわけですよ。
【平井】アートフェスタの時に上原さんにインタビューした時「今回はあまり口を出さず後ろで見ている、それでアドバイスを求められた時アドバイスをするというスタンスでいるんです」と言ってましたけど、ホロスの作品以外で、OTやきらりとか、そういった部署の作品にも関わってたんですか?
【上原】関わっています。結構、打ち合わせしたり展示の仕方を話し合ったりしました。
【平井】今年初めてフォレストアートというものを、あの林の中でのアートという形で見せてもらったんですけれども、その辺も上原さんは関わっていたんですか?
【上原】これ面白いポイントなんですけど、関わったとも言えるし関わっていないとも言える。これは難しいかな。この場所でしかできないことって何なのか、考えたら面白いことができるよってアドバイスをしたんです。それが裏庭を使ったアートだった。袋田美術館と言ってもいいと思うんだけど、美術館に対抗しても勝てるわけがないじゃないですか。だとしたら袋田病院の場所とは何なのかなと考えてみたらとアドバイスした。森の中にある、山の中にある小さい病院だからこそ出来る、街にある病院ではできないことがあるんですよと。ここだから故に、袋田病院だからこそ、というような感じです。
【平井】今回に看護課の展示がすごい面白いなあと思ったんですけど、あれは看護課さんのアイディアですか?
【上原】あれは半分半分ですかね。こういう歴史があってこういうことが伝えたいんだけれど、どうしていいか分からないというところから彼らとコミュニケーション取ってきたんだけれど、要は何がしたいのか分からないとアドバイスのしようがない。僕がこうやったらいいですよって言うのは簡単、でもそれじゃあ上原さんにやらされてるっていう感じになっちゃう。それが難しいところですよね。
【平井】上原さんからしたらまだまだだと思うことも、全体的に見たら変化してきてるんじゃないですか?
【上原】額を作って透明のシートを使ってとか、外に出てみるとか。それらはこれまでのアートフェスタでやってみて学んだことだと思うんです。今回の看護師さんが新聞紙をこういう風にやればこういう風になるんだ、こうやって量産できるんだっていうことや、患者さん達とワークショップを一緒に出来るんだっていう、あれをやった人は確かに僕が最初のきっかけだったとしても、来年また同じことはできるようになったわけじゃないですか。いや、もっといろんな事が出来るようになっているかもと思うんですよ。こうして経験が毎年増えていけば増えた分アイデアがまた新しく出てくると思うんです。
【的場】ただね自分の生活の中にアートがない人間が、職場に来てアートをやるんだっていうのはね、やっぱり遠いんだよね。だからどんな形にせよ、日々の生活の中に、例えば日曜日になると美術館に行くっていうようなことでも、あるいは家にお気に入りの絵が一枚飾ってあるとか、あるいは音楽でも、日常の中にアートに対する関心やアートと触れ合うという具体的なものがないと、そういう人が職場に来ていきなりアートってすごくハードルは高いですよ。それでも、アートフェスタに最初は抵抗あった職員が、職場で経験することで ある人はひよっとしたらアートって面白いんだなーって思うかもしれない。そしたら例えば今まで行かなかったけど、上野の美術館にちょっと行ってみようかと思う。そういうところでアートの裾野が広がり深まっていけばいい。アートということに個人的に関心を向けないようなそういうレベルでいる限りは、その先は見えてるだろうなって思う。だからその人自身の生活の場が、こういう経験を通して変わっていけばね。個人的なレベル、プライベートな部分で。
部署としては、変わらなきゃいけないのは僕は病棟だと思う。上原君のアンケートとって、もし最大の批判勢力、あるいは無関心層がいるとしたら、看護部だと思って間違いないと思うよ。圧倒的に人数が多いのは看護部だしね。看護部としての仕事でさえまとまりにくいのに、更ににそこにアートが入ってくるわけでしょ?看護部動かすのはすごく大変。
【平井】だって大変ですよ。仕事をしながら、患者さんと接しながら、そこにアートですよね、大変ですよ。
【的場】展示のメインはアトリエホロスだったり外来の患者さんだったりで、入院患者さん120人の中の何人の患者さんにアーティスト性を見出せる人がいるかって言うと極々僅かですよ。まぁそこら辺がもう看護部にとったらアートって遠いんですよ。戦場でアートどころじゃないと言ってもいい。あれはあくまでも退院して外来でホロスに通っている人達のことだと考えがちになる。だからこれから先、僕が行き詰ってくると思っている部分は、病棟の治療文化の中にどれだけアートが浸透してくるかといういうこと。それがアートフェスタの中核的なものだと感じている。看護部は本丸なんですよ。保護室がこのコアな部分だと言いながらそこを活かしきれないっていうのは、もう裏表なんだよねそれは、一番関わってたにも関わらず。
【平井】例えば「精神科病院のミュージアム」と云った表現でTwitterにツイートされていた方がいて、療養棟の壁の傷跡や保護室等を見ての感想だったんです。
アートフェスタの通年タイトル「歴史を振り返り明日を・・・」と云う部分、恥ずかしながら僕はブログを編集しつつも忘れかけていたんですよ。アートという事ばかりに目がいって。それが今回のこの座談会を行うキッカケにもなっています。
さて話題を戻します。壁の痕跡、それは病態ゆえに蹴ってできたものなのか、あるいは当時・数十年前まで日本の精神病院にあったであろう、管理看護という日常の患者さんへの対応の仕方、あるいは態度。その中でのストレスが原因なのではないか、恐らくは両者だと思うけれど。後者もある、というのが問題であり事実だと。
それを伝える重要性、歴史のもとに成り立っている、繋げていく。知らないわけですからね。そういう時があったということを、新しい20代30代の看護職員さんは。『あたかも過去がなかったかのように』ではいけないと院長が仰っていたんだけれども、例えば新しい病棟を建てる時に土を被せ新しく建てる、と同時に黒い過去をも埋めてしまっていいのかということ。少し話が長くなってしまいました。
【的場】精神科医療って過去にいろんな暗黒の歴史を持っているわけですよ。でもいつの間にかその歴史を誰がどう精算していったのかもよく分からないまま、あれはどこに行ったの?と判らないままに、新しい精神科医療が謳われている。僕はね巧妙な隠蔽があると感じている。全てとは言わないけれど。若い看護師や医師は、黒い歴史なんて無かった事のように仕事をしているとも言える。「そういう時代じゃないんだから」と言われるかもしれない。でも歴史上そういった事があったということは否めない訳で、その歴史の上で今仕事をやっているという事はどういうことなのか考えなきゃいけない。
それでね、沖縄問題と精神科問題でどこか共通してるところがあると思うんですよ。
虐げられて端っこに置かれて。それでいつもそういう事が無かったかのように、その他の人達は繁栄を享受してたりするわけですよ。
【上原】僕らぐらいの世代でも沖縄で強制接収があったことを知らない世代もいて、じゃ例えば精神科病院で過去を知る人知らない人がいて、知らない若い世代の人にどう伝え何を手段として伝えていくのかという・・・。
沖縄だとそれを演劇だとか紙芝居とかで繋いでいたりする、文化の中から語り継がれる事って歴史教科書で語るのとでは違いがあると思っていて、じゃあ、アートフェスタで若い世代の人が「あ、これ知らなかったです」「知りました」というのが大切になってくるんだと思います。
だから例えば沖縄の事を本土の人は現実問題として知らないことが多いと思う
同じように精神病院というものを外の人達は知らないことが多い、そしてその精神病院の中で仕事をする若い人たちの中にもいる、と。
【的場】広島の原爆で多くの人達が犠牲になった。でも多くの国民にとってはそんなにリアリティはないんだよ。1億1000万人ぐらいの人口でどれくらいの人があの原爆資料館を見たのか。
だからそれは沖縄も一緒だよね、リアリティが薄れている。
広島のことが特別じゃなくてさ、知らない世界というのがあるんですよ。常に、常にある。
そんな4月1日です。
早いものです。
ということで「あっという間」に月日は流れましたが・・・
「昨年末に引き続き」座談会の模様part2を更新致します。
※本文中の今年は(2018)を指し、来年は(2019)去年は(2017)になります。
【平井】5月ぐらいからアートフェスタの準備をしてきて、8月にTURNフェスがあって、そこからまたアートフェスタの準備。大変だったんじゃないですか?
【上原】アートフェスタの準備自体は4月5月ぐらいから始まって、TURNというのはその頃にオファーがあったんです。
僕としては、袋田病院の活動が紹介してもらえるんであれば、もちろんものすごく意味があることなんだけれど、デイケアの人からも理解を得られないと駄目だし、さらに通常業務もあるわけですから、まずデイケアスタッフに話をしたんです。そしてアートフェスタとTURNという大きなイベントを二つ抱えて、あれもこれもできないとも思ったんです。
そこで、僕にとってはアートフェスタっていうのが本番であってTURNフェスっていうのがプレという位置づけにして、ゴールとしてのアートフェスタだと考えたんです。
さらにTURNの時は予算を頂いたんですが、その際デイケアのスタッフと話しあって、ツアーとしてバスを出してもらってメンバーさん皆にも来てもらうっていう、そういうのを全部パッケージングしたんです、レクの一環として。なかなかそういう機会がないじゃないですか。それで、僕だけがこういう事やってるんじゃなくて、皆でやっているんですよ、皆もやっているんですよって、デイケアスタッフとメンバーに伝えるように意識してたんです。こういう事を僕は大事だなと思って。
というのはアンケートを最近職員に書いてもらったんですよ。
それが今まで来場者に書いてもらっていたんだけれども、職員にアンケートを取るという事をしていなかったんで、これは大事な事なのに忘れちゃっていたなと。
【平井】僕だけがやっているわけではなくて皆で、という部分が、アートフェスタのアンケートにつながっていったということですか?
【上原】アートフェスタいいなぁと思う職員もいた。でも何割かはアートフェスタにたいして嫌悪があるという人もいた。僕の中で職員さんに「アートフェスタこんなことをやるんだよ」っていうのを伝えられないまま続くのかと思ってたんですよ。
でも職員さんが考えていることも、僕は知らないのではないのかと気づいた。アンケートはめちゃくちゃ怖かったんですけど、今の僕にはいろんなことの理解のために大事なんじゃないかって思ったんですよ、何書かれるか分からないから怖かったんですけどね。でも今は、アンケートを取らないと多分これから持たないと思ったんですよ。例えば会議で、いいことは聞こえてきますものね。でも悪いことは聞こえてこない。
アートフェスタに興味がないとか、アートフェスタをもうやってくれるなとか、そう思っている人もいるかもしれない。そう思って、アンケートを取らないと僕が見えていなかった事が分からないと考えたんです。声を拾って行かなきゃなって思ったんですよ。これは今回初めて行なった試みなんですけど、まあ簡単に言っちゃえばコミュニケーション不足だった、今までが。だからアンケートを取ることで課題が見えてくるようになった。
【的場】それで何か手応えを感じているかな?
【上原】感じてますよ、(否定的な意見があってもアートフェスタの意義は)ゼロにはならないです。ただ誤解されてるところもあるなと、それは努力次第で変えることができることだと思っています。
現場はハードじゃないですか、その上でお願いするのも・・・。こっちは忙しいのにっていう気持ちあるはずです。それから僕は医療の現場とか知らないわけじゃないですか、なのにお願いするというわけですから。だから僕のような立場の人間からこうしましょうって言われたら結構色んな感情とか出てくると思うんですよ。
【的場】アンケートをどう読み解いて来年以降どう活かすかだね。
【上原】僕が見えていない人を知ることで僕が成長することにもなるのかな。
【的場】どんな意見も何らかの形で取り込んでいかないとね。
【上原】僕はアンケートとって、良くても悪くてもすごく意義があると思っていて、もっと言うと2013年から2018年までアンケート取っていたらもっともっと良かったと思うんです。なぜかと言うと、こういう風にアートに関わって職員の意識がこういう風に変わって、来場者の意識もこう変わったとか、すごく多面的な面で変化が見られるから。良くても悪くても来年さらにどう変わったか比較できるんですよね。
来年50%の人が関心持ってもらったら、その次の年は55%を目指す。そして、じゃあ45%の人はなぜ未だに無関心なのかということも考える。
【的場】では実行委員長としては、アンケートも踏まえて今年のアートフェスタってどうだった?
【上原】何回か重ねてこれぐらいのクオリティーでやって行けばいいんだ、って言うそういう年があって。あれを目指していこうこれを目指して行こうってのがあれば底上げみたいなものができてくる、それがなければ多分他の医療福祉でやっている塗り絵して終わりコラージュして終わりていうレベルで終わっちゃうと思う。
イメージというものを毎年アートフェスタで共有してると僕は思うんですけど、
だから関わってくるメンバーさんもなんかこのアートフェスタに参加したい、
このアートフェスタだから中途半端ではなくちゃんと作品を持ってきたい、意気込みは変わってくるんですよね。僕らがもしそれまでそれに気づいていなければ、まあ病院のあれでしょうと言って、なってしまうと思うんですよ。
【平井】上原さんがそれだけ熱意を持って行ってなかったら、作品を持ってくる人も熱心には持ってこないですよね。だからそういうことも含めて去年と今年どういう風に違うんですか?
【上原】去年は僕はそこまで関わっていなかったんですよ。
比較対象がないじゃないですか、僕が毎回関わってばかりでは。皆がやりたいことがある、僕が持ってきたイメージもあると。
でどっちも比較して初めてコチラがいい、あっちがいいって。
2017年僕が抜けることで比較対象ができるようになるからそうしたわけですよ。
【平井】アートフェスタの時に上原さんにインタビューした時「今回はあまり口を出さず後ろで見ている、それでアドバイスを求められた時アドバイスをするというスタンスでいるんです」と言ってましたけど、ホロスの作品以外で、OTやきらりとか、そういった部署の作品にも関わってたんですか?
【上原】関わっています。結構、打ち合わせしたり展示の仕方を話し合ったりしました。
【平井】今年初めてフォレストアートというものを、あの林の中でのアートという形で見せてもらったんですけれども、その辺も上原さんは関わっていたんですか?
【上原】これ面白いポイントなんですけど、関わったとも言えるし関わっていないとも言える。これは難しいかな。この場所でしかできないことって何なのか、考えたら面白いことができるよってアドバイスをしたんです。それが裏庭を使ったアートだった。袋田美術館と言ってもいいと思うんだけど、美術館に対抗しても勝てるわけがないじゃないですか。だとしたら袋田病院の場所とは何なのかなと考えてみたらとアドバイスした。森の中にある、山の中にある小さい病院だからこそ出来る、街にある病院ではできないことがあるんですよと。ここだから故に、袋田病院だからこそ、というような感じです。
【平井】今回に看護課の展示がすごい面白いなあと思ったんですけど、あれは看護課さんのアイディアですか?
【上原】あれは半分半分ですかね。こういう歴史があってこういうことが伝えたいんだけれど、どうしていいか分からないというところから彼らとコミュニケーション取ってきたんだけれど、要は何がしたいのか分からないとアドバイスのしようがない。僕がこうやったらいいですよって言うのは簡単、でもそれじゃあ上原さんにやらされてるっていう感じになっちゃう。それが難しいところですよね。
【平井】上原さんからしたらまだまだだと思うことも、全体的に見たら変化してきてるんじゃないですか?
【上原】額を作って透明のシートを使ってとか、外に出てみるとか。それらはこれまでのアートフェスタでやってみて学んだことだと思うんです。今回の看護師さんが新聞紙をこういう風にやればこういう風になるんだ、こうやって量産できるんだっていうことや、患者さん達とワークショップを一緒に出来るんだっていう、あれをやった人は確かに僕が最初のきっかけだったとしても、来年また同じことはできるようになったわけじゃないですか。いや、もっといろんな事が出来るようになっているかもと思うんですよ。こうして経験が毎年増えていけば増えた分アイデアがまた新しく出てくると思うんです。
【的場】ただね自分の生活の中にアートがない人間が、職場に来てアートをやるんだっていうのはね、やっぱり遠いんだよね。だからどんな形にせよ、日々の生活の中に、例えば日曜日になると美術館に行くっていうようなことでも、あるいは家にお気に入りの絵が一枚飾ってあるとか、あるいは音楽でも、日常の中にアートに対する関心やアートと触れ合うという具体的なものがないと、そういう人が職場に来ていきなりアートってすごくハードルは高いですよ。それでも、アートフェスタに最初は抵抗あった職員が、職場で経験することで ある人はひよっとしたらアートって面白いんだなーって思うかもしれない。そしたら例えば今まで行かなかったけど、上野の美術館にちょっと行ってみようかと思う。そういうところでアートの裾野が広がり深まっていけばいい。アートということに個人的に関心を向けないようなそういうレベルでいる限りは、その先は見えてるだろうなって思う。だからその人自身の生活の場が、こういう経験を通して変わっていけばね。個人的なレベル、プライベートな部分で。
部署としては、変わらなきゃいけないのは僕は病棟だと思う。上原君のアンケートとって、もし最大の批判勢力、あるいは無関心層がいるとしたら、看護部だと思って間違いないと思うよ。圧倒的に人数が多いのは看護部だしね。看護部としての仕事でさえまとまりにくいのに、更ににそこにアートが入ってくるわけでしょ?看護部動かすのはすごく大変。
【平井】だって大変ですよ。仕事をしながら、患者さんと接しながら、そこにアートですよね、大変ですよ。
【的場】展示のメインはアトリエホロスだったり外来の患者さんだったりで、入院患者さん120人の中の何人の患者さんにアーティスト性を見出せる人がいるかって言うと極々僅かですよ。まぁそこら辺がもう看護部にとったらアートって遠いんですよ。戦場でアートどころじゃないと言ってもいい。あれはあくまでも退院して外来でホロスに通っている人達のことだと考えがちになる。だからこれから先、僕が行き詰ってくると思っている部分は、病棟の治療文化の中にどれだけアートが浸透してくるかといういうこと。それがアートフェスタの中核的なものだと感じている。看護部は本丸なんですよ。保護室がこのコアな部分だと言いながらそこを活かしきれないっていうのは、もう裏表なんだよねそれは、一番関わってたにも関わらず。
【平井】例えば「精神科病院のミュージアム」と云った表現でTwitterにツイートされていた方がいて、療養棟の壁の傷跡や保護室等を見ての感想だったんです。
アートフェスタの通年タイトル「歴史を振り返り明日を・・・」と云う部分、恥ずかしながら僕はブログを編集しつつも忘れかけていたんですよ。アートという事ばかりに目がいって。それが今回のこの座談会を行うキッカケにもなっています。
さて話題を戻します。壁の痕跡、それは病態ゆえに蹴ってできたものなのか、あるいは当時・数十年前まで日本の精神病院にあったであろう、管理看護という日常の患者さんへの対応の仕方、あるいは態度。その中でのストレスが原因なのではないか、恐らくは両者だと思うけれど。後者もある、というのが問題であり事実だと。
それを伝える重要性、歴史のもとに成り立っている、繋げていく。知らないわけですからね。そういう時があったということを、新しい20代30代の看護職員さんは。『あたかも過去がなかったかのように』ではいけないと院長が仰っていたんだけれども、例えば新しい病棟を建てる時に土を被せ新しく建てる、と同時に黒い過去をも埋めてしまっていいのかということ。少し話が長くなってしまいました。
【的場】精神科医療って過去にいろんな暗黒の歴史を持っているわけですよ。でもいつの間にかその歴史を誰がどう精算していったのかもよく分からないまま、あれはどこに行ったの?と判らないままに、新しい精神科医療が謳われている。僕はね巧妙な隠蔽があると感じている。全てとは言わないけれど。若い看護師や医師は、黒い歴史なんて無かった事のように仕事をしているとも言える。「そういう時代じゃないんだから」と言われるかもしれない。でも歴史上そういった事があったということは否めない訳で、その歴史の上で今仕事をやっているという事はどういうことなのか考えなきゃいけない。
それでね、沖縄問題と精神科問題でどこか共通してるところがあると思うんですよ。
虐げられて端っこに置かれて。それでいつもそういう事が無かったかのように、その他の人達は繁栄を享受してたりするわけですよ。
【上原】僕らぐらいの世代でも沖縄で強制接収があったことを知らない世代もいて、じゃ例えば精神科病院で過去を知る人知らない人がいて、知らない若い世代の人にどう伝え何を手段として伝えていくのかという・・・。
沖縄だとそれを演劇だとか紙芝居とかで繋いでいたりする、文化の中から語り継がれる事って歴史教科書で語るのとでは違いがあると思っていて、じゃあ、アートフェスタで若い世代の人が「あ、これ知らなかったです」「知りました」というのが大切になってくるんだと思います。
だから例えば沖縄の事を本土の人は現実問題として知らないことが多いと思う
同じように精神病院というものを外の人達は知らないことが多い、そしてその精神病院の中で仕事をする若い人たちの中にもいる、と。
【的場】広島の原爆で多くの人達が犠牲になった。でも多くの国民にとってはそんなにリアリティはないんだよ。1億1000万人ぐらいの人口でどれくらいの人があの原爆資料館を見たのか。
だからそれは沖縄も一緒だよね、リアリティが薄れている。
広島のことが特別じゃなくてさ、知らない世界というのがあるんですよ。常に、常にある。