拙くはありますが、今の私の考えなので、本日の奨励原稿をこちらに掲載しておきます。
担当教員
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ルールは大切だけれども……
おはようございます。夏休みも終わり、今日から秋学期が始まりました。皆さん、どのような心境でしょうか? 夏休みを楽しむことはできたでしょうか? 新型コロナウィルスの再拡大や、ゲリラ豪雨・台風による災害など様々なことが起こりましたが、少しでも夏の休みが皆さんにとって心に残る良き思い出であることを願っています。
さて、本日は「ルールは大切だけれども……」ということで、「ルール」というものについて少し考えてみたいと思います。学期冒頭の奨励として少し奇妙なタイトルかもしれませんが、少々お付き合いください。
方々でしゃべっているのでご存じの方も多いかもしれませんが、私には現在幼稚園年長の息子がいます。やんちゃですが、とてもかわいい5歳児です。ただ、3月15日と早生まれということもあり、ここまで育てるのにはとても苦労しました。幼稚園の<ルール>についていけない、あるいは理解がなかなか進まなかったのです。当初はとても悩み、いろいろな発達相談も受けましたが、やはり早生まれというのがとても大きな要因なのだなと最近は思うようになりました。考えてみれば、すでに4歳の同級生もいる中で、3歳で幼稚園に入園することになるのです。その割合を今の皆さんに当てはめてみますと、20歳の大学生の中に15歳の中学生が混じっているということになるでしょうか。大人からすればたかが1年の差ですが、この差は大きいです。
これはとても卑近な例ですが、多様性というのは本当にこんな些細なところにも存在し、そしてそれはしばしば<見ない弱者>である、ということを示しているように思います。
しかし今、幼稚園や保育園ではプレ小学校化が進行しています。小学校に入る前に<ルール>を叩きこもうというのです。<ルール>というのは、どうしても多様な人びとを一様に扱ってしまわざるを得ません。多様性が謳われる社会ですが、実際のところ社会はむしろ<ルール>のような一様性を重視する方向にも進んでいると言えます。
ルールという言葉はとても馴染みのあることばですが、実は英語由来であるこの「カタカナ語」によって、ある意味でその意味を深く考えずとも使えてしまう類のことばです。試みに英語辞書を引いてみると、ルールという言葉は日本語で一般的に思いつくことのできる「規則」「法則」のほかにも「規範」「習慣」、そして「支配」や「統治」という意味を含み込んでいます。
こうした問題は皆さんも関心のあるジェンダーの問題とも関係してきます。日本はgenderギャップ指数が146か国中116位であり、当然こうした<慣習>や<支配>の問題は山積みとなっています。
もしかしたら皆さんの中にはそれほど男女間の差異、ジェンダーギャップを感じていない人もいるかもしれません。しかしそれは、日本が教育の分野では世界でも有数の男女平等が進行している国だからとも言えます。私のゼミ生は、営業職の面接で「なぜ女性なのに君は営業職を志望するの?」という何とも旧態依然とした質問をされたそうです。大人になればなるほど、日本は女性にとってもキツイ社会の顔を見せるのです。
ただし、実際のところ、男女平等を実現してきた西欧でも、問題は数多く残されていると言います。
最近、リン・スタルスベルグさんというノルウェーのジャーナリストの女性が書いた『私はいま自由なの?』という書籍を読みました。2013年に出版され、2021年に日本語に翻訳されたものです。ノルウェー語なので原書の存在はこのように翻訳されるまで知りませんでした。ノルウェーと聞くと世界でも有数の男女平等の国、gender equalityの進んだ国との印象があります。実際、国連の調査でも世界第三位で、すでに男女平等が達成された国のように私たちは錯覚してしまいます。しかし、実態は異なっているとこの本の著者スタルスベルグさんは問題提起しています。確かに子供を1歳から保育園に預け、男女がフルタイムで働けるようになった。しかし、現在でも家事・子育ての多くは女性が負担している。そして、仕事と家事・子育ての両立に忙殺されてしまうが、年金を減額されてしまうため、パートタイムの仕事に就くのは経済的に厳しい部分がある。しかも社会は女性もフルタイムで働くことを当然視する雰囲気があり、パートタイムや主婦になることは落伍者のように扱われてしまうと言います。子どもとの時間を優先したい、泣きじゃくる子どもを保育園に置いておきたくはない、しかし他にやり様がない。このジレンマをノルウェーの女性たちも感じているというのはとても驚きました。
ルールは万能ではありません。ルールからは常にこぼれ出てしまうものがありますし、ルールはしばしば<慣習>や<支配>的なものとして過剰に働いてしまう場合もあります。大切なのは常にそれが妥当なものなのか中身を点検するとともに、そこからこぼれ出たものへのまなざしを忘れないことです。<決まったものはショウガナイ>というような態度ではなく、ルールそれ自体を常に問い直す姿勢が大切なのではないでしょうか。
今回の聖句(ルカによる福音 18章 第9節-14節)もそのことを教えてくれます。イエス・キリストのすごいところは、律法至上主義、ルール至上主義の人たちが多くを占める当時の社会で、それではだめなんだ、愛が、愛という中身こそが大切なんだと訴えたところにあると私は認識しています。
自己責任として個人にすべての責任を負わせてしまう風潮は日本でももうずいぶん前から問題となっていますが、特に若い皆さんの中には内面化されてしまっているかのうようにも感じます。その一方、真面目な学生さんは、ルールに過剰にとらわれすぎ、その中でうまく物事を進められない自分自身を責め、逆にメンタルを壊すことにもつながってしまっています。グローバル資本主義は息もつけない競争社会。ガンバリズムです。常にポジティブが求められる世界では、常にプレッシャーにさらされ続けます。しかし、いい時も悪い時もあるのが人生。
新学期、そのことを心に留めながら、皆さんと共に歩むことができればと思っています。