今回の台風19号により、被害に遭われた方々に対し、心からお見舞い申し上げます。
一週間が経ちました。先週とは強さは違うものの、今日も雨が降っています。
2019年10月12日の夜に静岡県の伊豆半島に上陸し、東日本の各地で大きな被害を出した台風19号(アジア名:ハギビス、Hagibis)。
多くの河川で氾濫や堤防の決壊が発生しました。長野県長野市では千曲川の堤防が決壊し、あふれた水が住宅地に流れ込んで多くの家が浸水しました。被災地では夜を徹して懸命の救出活動が続けられ、自衛隊員3万1000人を含む10万人以上が10月13日から、豪雨による土砂災害や河川の氾濫により取り残された人たちの救出に当たりました。
主要な交通機関には引き続き影響が出ており、JR中央東線は、山梨県の四方津駅~梁川駅間で線路上に大量の土砂が流入しているため、特急「あずさ」(新宿駅~松本駅)は運休が続いています。高速道路は、中央高速道路の大月IC~八王子JCT間が通行止めになっているため、松本~新宿間の高速バスは運休が続いています。また、県内では佐久IC~松井田妙義IC間は現在も通行止めとなっています。生活道路に至っては、未だにどのような状況になっているかすらわかっていません。
長野県松本地方は2019年10月12日夕方から夜間にかけて大雨となり、松本市、塩尻市や安曇野市などには2013年(平成25年)の運用開始以来初めて「大雨特別警報(警戒レベル5相当)」が発表されました。
私の子どもたちが現在住んでいる地域も「大雨特別警報(警戒レベル5相当)」が発表され、子どもたちの安全は確認できていますが、周辺では大きな被害が発生しています。
偶然でしょうけど、1991年9月25日~9月28日に日本列島に甚大な被害を与えた台風も第19号(国際名:ミレイユ、Mireille)でした。
そんな中、自民党の二階俊博幹事長が10月15日に、台風19号の被害について、「まずまずに収まった」と語った10月13日の発言を事実上撤回しました。党本部で記者団に、「被災された皆さまに誤解を与えたとすれば表現が不適切であった」「災害に対してはこれまで人一倍、先頭に立って取り組んできた思いがある。その経験を生かして、災害の復旧に全力を尽くしたい」と語りました。
そもそも、この発言は10月13日に自民党の緊急役員会で台風19号の被害について、「予測されて色々言われていたことから比べると、まずまずで収まったという感じだ」と発言したことが発端です。
報道された後の会合後、「日本がひっくり返されるような災害、そういうことに比べれば、という意味だ。1人亡くなったって大変なことだ」とも釈明したという。
まだ、この時点では被害の全容が不明な最中に、なんとも無神経な発言だと思います。さらに政治家は、最悪の事態を想像して対処しなければならないと考えます。常に初動が遅れたり、対応に不手際があるのは、想像力が欠如しているからであり、安全な場所で物事を考えているかなのでしょう。与党幹事長の発言は決して軽くありません。この認識は、あってはならないでしょう。
今回の被害を受けてボランティアの活動も始まっています。飯山市では、10月15日からボランティアの受付けが始まりまり、台風の影響で高校が休校となったため、「甲子園の応援への恩返しに」と飯山高校野球部員もボランティアに参加しました。
倉科勇雅選手は、「甲子園に出るにあたって、地元の人からたくさんの応援をしてもらった。少しでも恩返しできれば。大変ですけど少しでもありがとうと言ってもらえたら」と言い、松永勇一朗選手と一緒に泥出しや使えなくなった荷物の運び出しなどの作業をもくもくとこなしました。
甲子園では一回戦で宮城・仙台育英高に敗れましたが、「精一杯の声援を送ってくれた市民への恩返しを」と、甲子園のアルプススタンドを白く埋めた3000人の大応援団の方々へと、恩返しの意味と感謝の気持ちを込めて作業しました。
重い荷物を運び出すなどの作業では、「筋トレが一番(役に立った)。一回でたくさん運べた。泥臭くやってきたので汚れは気にならない」と現役時代に培った体力と精神力が役立ったそうです。
10月16日からは学校が再開されるため、作業は出来なくなりますが、倉科選手と松永選手さんは、今後も出来る限り復旧・復興の力になりたいと考えています。
どこか、他人事としか捉えていない与党幹事長の発言に対して、その三分の一の時間しか生きていない高校生の行動。限りある人生という時間をどのように過ごしてきたのか。そして、そこから何を学んでいるのか。毎回毎回、繰り返される政治家の戯言に、この国を案じるとともに、若い人たちにおける、この国の明るい未来を思います。
多くの方が亡くなり、まだ行方不明の方がいます。現在でも必死の捜索が行われ、大事な人の無事を祈っている人がいます。