TBSテレビ系の「プロ野球戦力外通告~クビを宣告された男たち」。ある意味年末恒例の番組となりました。今年で12回目の放送となります。
プロ野球で夢を見る事も出来る選手は、野球をやっている中でほんの一握りです。
始まりがあれば、終わりも来ます。それは誰にでも、野球以外でも同じことが言えます。
あれだけやってダメなら、仕方ない。いや、自分はもっとできる。いろんな想いが交錯していることでしょう。
今日は次の4人の選手を中心にピックアップするようです。
■中後悠平 (26歳)
近畿大学二年の頃から頭角を現し、関西トップの大学生左腕としてドラフト候補となり、2011年のドラフト会議2位で千葉ロッテマリーンズに指名され入団。
2012年 オープン戦で結果を残し、中継ぎで開幕一軍入り。開幕2戦目の東北楽天ゴールデンイーグルス戦で、1点リードの八回裏1アウト満塁の場面でプロ初登板で二者連続三振の鮮烈デビュー。4月22日の埼玉西武ライオンズ戦でプロ初勝利も挙げたが、与四球率5.75とコントロールが良くなく、6月に二軍落ち。後半はほぼ二軍暮らし
2013年 変わらずフォアボールから崩れる場面が多く、後半戦は一軍に上がることなし
2014年 2013年と同様、5試合の登板に終わる
2015年 二軍で26試合に投げたが一軍登板はなく、10月3日に戦力外通告。12月にBCL・武蔵ヒートベアーズに入団
■矢地健人 (27歳)
高岡法科大学四年時に、春季リーグ戦で防御率0.69で10年振りの優勝に貢献。2009年の育成ドラフト会議で中日ドラゴンズからの1巡目指名を受け、育成選手として入団。
2010年 春季キャンプやオープン戦などで高い評価を受け、開幕直後の4月5日に支配下選手登録。同月16日に一軍に昇格、18日の広島東洋カープ戦八回裏に、5番手投手として一軍初登板。1アウト後に、危険球による退場処分を受け、結局、一軍公式戦への登板はこの1試合
2011年 公式戦2試合に登板。10月20日の対カープ戦で、一軍初ホールドを記録
2013年 入団後最多の9試合に登板。1ホールドを記録
2014年 登板機会がなく、10月1日に球団から戦力外通告。通告後に千葉ロッテマリーンズの秋季キャンプで入団テスト受け、入団契約
2015年 5月3日に移籍後初の出場選手登録。翌4日の対福岡ソフトバンクホークス戦で二年振りの一軍公式戦登板を果たし、この年、15試合登板で1ホールドを記録。しかし、10月3日に二年連続の戦力外通告
■山本和作 (29歳)
大阪経済大学では一年秋に関西六大学リーグ史上初の一年生で首位打者、ベストナインを獲得。四年時には大学通算100安打を達成。2008年のプロ野球育成ドラフト会議で、読売ジャイアンツから3巡目で指名され、入団。
2009年・2010年 育成選手としてイースタン・リーグ公式戦や三軍戦のみに出場
2011年 5月23日に支配下選手契約。一軍昇格を果たせなかったが、イースタン・リーグで打率.281、チームトップのホームラン9本、45打点を記録。10月に左膝蓋骨を骨折し、11月に再び育成選手契約
2012年 7月2日に再び支配下選手契約。しかし、一軍昇格なし。シーズンオフに、香月良太選手・阿南徹選手との交換トレードで、東野峻選手と共にオリックス・バファローズへ移籍
2013年 3月29日に千葉ロッテマリーンズとの開幕戦で、ファースト守備で一軍デビュー。4月14日の北海道日本ハムファイターズ戦で一軍初ヒット、28日の同カードで一軍公式戦初スタメン。5月9日の福岡ソフトバンクホークス戦で、プロ入り後初のサヨナラヒットを放ち、人生初のヒーローインタビューを経験。19日の横浜DeNAベイスターズ戦では初ホームラン
2014年 二年連続で公式戦開幕を一軍で迎えるものの、16試合の出場にとどまる
2015年 一軍公式戦3試合に出場したが、8打席無安打。10月28日に球団から戦力外通告。現役引退
■栗原健太 (33歳)
日本大学山形高校一年夏から五番を打ち、秋からは四番を任せられる。二年春の東北大会では打率7割、ホームラン2本をマーク。二年夏に甲子園に出場。高校通算ホームラン39本。1999年ドラフトでは、3位で広島東洋カープに指名され入団
2002年 一軍に昇格。プロ初ヒットはホームラン
2004年 90試合に出場し、ファーストのレギュラーを掴むかに思われたが、2006年後半に椎間板ヘルニアになり、そのままずっと二軍
2008年 新井貴浩選手の移籍で開幕から四番に座る事になったが、春先はあまり調子は出ず、後半に復活。新井選手と共にファーストでゴールデングラブ賞を獲得。オフにヒジの手術
2009年 第2回WBCに準決勝前に緊急招集され渡米。シーズンでは腰の故障に悩まされ、成績を大きく落とす
2010年 交流戦で右手首にデッドボール受け骨折、約2カ月戦線離脱。復帰後は3割近い打率を残したがホームランは15本と5年ぶりに20本に届かず
2011年 ゴールデングラブ賞とベストナインを受賞
2012年 東日本大震災復興支援ベースボールマッチでホームランを放つ活躍を見せるが、レギュラーシーズンでは右ヒジを手術し、21試合の出場、ホームランも初めての0本
2013年 打撃不振に陥り24試合の出場
2014年 一軍出場なしに終わる。オフに右ヒジの手術
2015年 二年連続で一軍出場なし。10月9日に退団を発表。その後、東北楽天ゴールデンイーグルスの入団テストを受け合格
その他にも、自ら自由契約を望んだホークスの松中信彦選手。実績においてはNo.1です。ここ3シーズンで合計でも6安打と低迷。ホークスを退団したものの、獲得に名乗りを挙げたチームは現れていません。
鉄平選手(元オリックスバファローズ)、井川慶選手(バファローズ)、多村仁志選手(元横浜DeNAベイスターズ)らも所属先は未定です。変わり種としては中日ドラゴンズの川上憲伸選手は浪人して(ケガを直して)から再契約するつもりです。
田代富雄・読売ジャイアンツファーム巡回打撃コーチが以前、横浜DeNAベイスターズ時代に、チームから戦力外通告を受けた選手に次のことを言っていました。私も同感です。
「最後にみんなに覚えておいて欲しい事が1つある。みんな、プロ野球をクビになる事は、悪い事じゃないんだ。そもそも、プロ野球選手になれる事自体、すごいことなんだ。この世界は必ずいつかクビになる。それがいつになるかは判らないけど、いつかクビになった時は、どうか『この世界に入れた』という誇りを持って、胸を張って辞めていって欲しい」