平成時代が終わって、令和時代になりました。
近代日本では、時代が変わるときに、明治維新(明治時代初期の日本が行った大々的な一連の維新)、大正維新(大正改元時の政治的宗教思想)、昭和維新(五・一五事件、二・二六事件などのスローガン)、平成維新(平成年間における変革・維新)がありました。令和でも維新があるのでしょうか。
さて、それらとは関係なく、なぜかから脈々と結成されている歴史的なユニットがプロレスの維新軍です。
最初の維新軍は、1982年10月8日に後楽園ホールで行われた新日本プロレスの6人タッグマッチにおいて、藤波辰巳(辰爾)選手に「噛ませ犬」発言をし、新日本正規軍(現在の本隊)に反旗を翻した長州力選手の元に1983年1月から、マサ斎藤さん、アニマル浜口さん、キラー・カーンさん、タイガー戸口さん、谷津嘉章選手、小林邦昭さん、寺西勇さんが集結し、結成した昭和を代表する反体制ユニットです。
1984年になり、新日本プロレスからジャパンプロレスに戸口さんを除くメンバーと、永源遙さん、栗栖正伸さん、保永昇男さんら新日本プロレスの所属選手とともに大量移籍します。後にスーパー・ストロング・マシンさん、ヒロ斎藤さん、高野俊二さんのカルガリー・ハリケーンズも合流します。馳浩さん、佐々木健介さんといった新人も入団し、一大勢力となっていきます。マサ斎藤さんとの革命軍から始まった維新軍は団体設立、全日本プロレス参戦となりました。
しかし、1987年に契約問題からジャパンプロレスは分裂します。長州選手ら大半の選手は新日本プロレスに戻りましたが、谷津選手、仲野信市さん、永源さん、高野さんらは全日本プロレスに残留。カーンさんは嫌気がさして引退しまいます。浜口さんも新日本プロレスで引退セレモニーを行いました。
昭和維新軍は、ここで終焉を迎えます。
5年後。1992年になりますと、新日本プロレス選手会ともめた越中詩郎選手と小林邦昭さんが新日本本隊を離脱。齋藤彰俊さん、木村健悟さんや誠心会館の青柳政司さんも賛同し、反選手会同盟を結成します。翌年にはブロンドアウトローズを解散した後藤達俊さん、小原道由さんが加入し、平成維震軍を結成しました。
平成維新軍は天龍源一郎選手率いるWARに乗り込んでいきます。その後、ザ・グレート・カブキさんも加入。平成維震軍の自主興行も開催するようになり、野上彰(AKIRA)選手も加入しましたが、1999年に解散しました。
ただ、解散後も節目には復活を繰り返しており、近年では武藤敬司選手がプロデュースするプロレスリング・マスターズや、越中選手のデビュー40周年記念興行では、平成生まれの新メンバー、真霜拳號選手が加入しており、平成が終わっても平成維震軍を継続すると宣言しています。
そして、新元号「令和」が発表された4月1日にプロレスリングゼロワンに「令和維新軍」が誕生しました。
メンバーは、北村彰基選手と岩崎永遠選手の20代若手の2人です。ゼロワンは「平成でデビューした大谷(晋二郎)や田中(将斗)に対し、間違いなく未来のプロレス界を引っ張るのは彼ら。令和30年には彼らが50代になり、レジェンドになっている。そんな期待を込めた」とというものです。
こちらは、昭和維新軍、平成維新軍とは違う成り立ちになっていますが、令和維新軍がどんな形で行動を起こして行くのか、大いに期待したいです。