看板を かかげて歩け 看板を
だれのものでもない
自分のいのちの 看板を
相田みつをさんの息子さんが子どものころに友だちからお父さんの仕事を聞かれたときに困ったことがあったそうです。
(ちなみに、この美術館の館長さんが、その息子さんです)
(ちなみに、この美術館の館長さんが、その息子さんです)
「書家ではくくれず、詩人でもおさまりきれない」「(ただ、)筆をもつ以外になんの能もない人間・・・」と、相田さん自身が言っています。
また、
「私の書くものは書でも詩でもありません。私は書家としても詩人としても世間に通用しません。そのことを一番よく知っているのは自分自身です。私には、自慢できる学歴や肩書は何1ツありません。私は書という形式を借りて、人間としての本来的なありよう、本当の生き方を語っているだけです。誰に対して?自分です。自分ぐらい厄介なものはないからです。ああなりたい、こうなりたい、あれも欲しい、これも欲しい。人につける点は辛く、自分につける点は甘い。言うこととやることがいつもちぐはぐ、それが人間、それが自分だからです。そういう自分を、あるがままに、できるだけ正直にさらけ出したのがこの本です」
と、「おかげさん」の「あとがき」書かれています。
私も自分だけの看板を堂々とかかげて歩いて行きたいものです(すでに自分だけの看板を掲げていると思いますが)。
どうせ一度きりの自分の人生ですから、人に社会に迷惑をかけない程度には遠慮するものの、納得のいく生き方をしたいものですね。
自分ならば
どうする
どうする
本日も、拙文最後までお読みいただきありがとうございます。
皆さまにとって、今日という日が昨日よりも特別ないい日でありますようにお祈りいたしております。
また、明日、ここで、お会いしましょう。それではごめんください。
皆さまにとって、今日という日が昨日よりも特別ないい日でありますようにお祈りいたしております。
また、明日、ここで、お会いしましょう。それではごめんください。