「横須賀ストーリー」は、1976年6月にリリースされた山口百恵さんの13枚目の楽曲です。作詞は阿木燿子さん、作曲は宇崎竜童さんです。この楽曲の制作にあたり、山口百恵さん自ら阿木燿子さんと宇崎竜童さんを指名しています。山口百恵さんの最大ヒットシングル楽曲になっています。
楽曲のタイトルの横須賀は山口百恵さんが小学二年年から中学生までの7年間を過ごした場所であり、作詞した阿木燿子さんは両親が横須賀在住だったこともあり、山口百恵さんとの接点を横須賀と考え、最初にこのタイトルを決めてから曲作りに入ったそうです。
さて、横須賀といえば、一般的には神奈川県の三浦半島にある横須賀市です。昔から軍港として栄え、現在でも米軍や自衛隊の施設があり、旧日本軍の戦艦「三笠」が市内の三笠公園に保存されています。市内にはJR横須賀線の「横須賀駅」と京急本線の「横須賀中央駅」があります。
♬ここは横須賀
さてさて、実は愛知県にも「横須賀」と名前がつく駅が3つあります。名古屋鉄道の駅で、名鉄常滑線の「尾張横須賀駅(東海市)」、名鉄河和線の「高横須賀駅(東海市)」と、名鉄西尾線の「上横須賀駅(西尾市)」です。
♬ここも横須賀
各駅の開業が1912年に尾張横須賀駅、1915年に上横須賀駅、1931年に高横須賀駅です。ちなみに横須賀駅は1889年、横須賀中央駅は1930年と、いずれも長い歴史を持っています。
東海市にある「横須賀」の地名は、1666年に尾張藩の第2代藩主・徳川光友さんが風光明媚なこの土地に「臨江亭」、またの名を「横須賀御殿」という別荘を建てたのが始まりといいます。のちに代官所が設置され、周囲は知多郡横須賀村として広がっていきました。尾張横須賀駅は現在、東海市養父町北反田にありますが、元々、養父町は横須賀町養父でした。一方、高横須賀駅の所在地は東海市高横須賀町で、元々は横須賀町高横須賀で同じ町にあります。なお、高横須賀という地名は、海から遠い地区からそう呼ばれていたようです。
もう一つの「上横須賀」は1714年に横須賀村がふたつに分かれて「上横須賀」「下横須賀」となったのが由来です(のちに再び合併)。
なお、一般的な「横須賀」という地名の由来は、「横に伸びる須賀(砂州)」だそうです。
おそらく、これ以上「横須賀」という名前がついた駅は日本にはないと思います。
♬これっきり これっきり もう これっきりですか
今日も、私のブログにお越しいただいてありがとうございます。
今日はどのような一日になるのでしょうか。または、どのような一日を過ごされたのでしょうか。
その一日でほんの少しでも楽しいことがあれば、それを記憶にとどめるように努力しませんか。そして、それをあとで想いだすと、その日が明るくなる、それが元気の源になってくれるでしょう。
それを見つけるために、楽しいこと探しをしてみてください。昨日よりも、ほんの少しでも、いい一日でありますようにと、お祈りいたしております。
また、明日、ここで、お会いしましょう。