東北楽天ゴールデンイーグルスの星野仙一球団副会長が4日に亡くなっいたとのお話です。
70歳で、昨年には野球殿堂入りし、つい先日の4日には日本野球殿堂博物館で受賞のインタビューVTRを観ていたところでした。あまりの早さと、突然のことで何とも言えません。
表題は、やっぱり現役時代のこともあり、中日ドラゴンズとしました。
現役時代はドラゴンズのエースとして活躍し、引退後はドラゴンズ、阪神タイガース、イーグルスの監督を歴任。計4度のリーグ優勝を飾り、イーグルス時代の2013年には、ようやく自身初の日本一に輝きました。
「燃える男」、「闘将」と呼ばれ、読売ジャイアンツを倒すために野球人生をささげてきた人と言っても差し支えないでしょう。
これほど、人間の感情・闘志を表に出しながらプレーした野球選手は二度と出てこないでしょう。相手が強ければ強いほど「燃える男」が現役時代のキャッチフレーズだったくらいですから。
その原動力が「打倒・ジャイアンツ」。有名な話ですが「星野と島野を間違えたのじゃないか」と言わせるドラフトでふられ、憧れの球団は「生涯のライバル」に変わり、ドラゴンズのエースとして闘争心をむき出しにして投げていた姿は今でも記憶に残っています。特にジャイアンツ戦は歴代6位タイの通算35勝。現役通算146勝を挙げた中での4分の1ほどがジャイアンツからの勝利でした。
1974年には沢村賞を受賞してジャイアンツのV10を阻止しましたが、「日本シリーズは邪魔。俺は巨人を倒したからいいんだ」と言い切ったほど、巨人を倒すことに執念を燃やしました。
その思いは引退後も変わることはなく、監督時代は「闘将」と呼ばれ、鉄拳制裁が代名詞になるほどでした。それだけでなく「非情と愛情の2つを併せ持つことが大事」という持論で、チームを闘う集団に作り上げ、ドラゴンズで2度のリーグ優勝を果たします。
「俺は弱いチームを強くすることが好きなんだ。それが、男のロマンやないか」と2002年に低迷していたタイガースの指揮を執り、2003年に18年ぶりのリーグ優勝に導きました。イーグルス監督時代の2013年には日本シリーズで宿敵のジャイアンツを破り、4度目の挑戦で初めて日本一監督となりました。
その言動は王貞治さん、長嶋茂雄さんらとともに球界への影響力は大きく、監督引退後は「野球への恩返しの意味でも自分の思いや考えを若い人につないでいきたい」と語り、野球の普及活動に尽力していました。
昨年11月28日に東京で、12月1日には大阪で「野球殿堂入りを祝う会」が行われ、プロアマ球界、政財界、芸能界から2000人を超える人が出席し、「アマとプロひとつになって、子どもたちにいかに野球をやらせるか考えていきたい」と、球界一丸となって野球の発展に尽力することを語っていました。
「全国津々浦々、子どもたちが野球ができる環境をつくりたい。そんな夢を持っています。アマ球界とも相談しながら、野球界をもう一度、巨人のV9時代に戻そう、そんなふうに考えている」
高校、大学、社会人と、北から南まで全国から約400人のアマ野球指導者も集まっていて、東京大野球部の浜田監督とも「野球は頭が良くなるスポーツという話をしたよ」と野球界の将来のため、どうやって裾野を広げていくかを真剣に考えていました。プロアマの連携を強め、野球界のさらなる発展に尽くしていく構想を熱く訴えたところでした。
また、ジャイアンツの長嶋茂雄終身名誉監督からはビデオメッセージを贈られ「仙ちゃん、これから何年、野球界のために力を注げるか分からないが、楽天のためだけでなく、セ・リーグにも力を貸して欲しい」とハッパを掛けられていました。
スポニチ(Web版)によりますと、「がんで闘病していた」ということで、昨年末に体調が悪化し、年末年始を家族とハワイで過ごす予定だったが急きょ取りやめていたとのことです。
楽しみにしていた2020年東京オリンピックを前に帰らぬ人となりましたが、その意思をつないでいく人がいるはずですので、天国で見守っていて欲しいと思います。
「野球をやってて良かった。野球と恋愛して良かった。もっともっと恋したい」
これほど野球に恋した人は、もう二度と出てこないかも知れないだけに、残念です。
ご冥福をお祈りします。