宮沢賢治さんが1931年に書いたとされている「雨ニモマケズ」の詩です。一度は見聞きしたことがあると思います。
雨にも負けず 風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫なからだをもち
慾はなく
決して怒らず いつも静かに笑っている
この「雨ニモマケズ」の詩にはモデルになった方がいるとのことで、その方は斎藤宗次郎さんだと考えられているそうです。
斎藤宗次郎さんは小学校教諭をしていましたが、無教会主義キリスト教者の内村鑑三さんに影響を受け、キリスト教徒になりますが、生徒に聖書や日露非戦論を教えたため退職することになります。また、それによって迫害も受けてしまいます。当時はキリスト教は社会的に認められておらず、斎藤宗次郎さんの娘さんはエスカレートした迫害によって亡くなってしまったそうです。
それから約20年間、斎藤宗次郎さんは新聞配達をして暮らしていました。新聞配達を天職と感じ十数種類、20kg以上の新聞を背負い、駆け足で配達したそうです。それだけでなく、配達や集金の合間には、病人を見舞い、悩みや相談を聞き、子どもたちに会ったらお菓子を渡したりしながら神に祈り続けていたそうです。
一日に玄米四合と 味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを 自分を勘定に入れずに
よく見聞きし分かり そして忘れず
野原の松の林の陰の 小さな萱ぶきの小屋にいて
東に病気の子どもあれば 行って看病してやり
西に疲れた母あれば 行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば 行ってこわがらなくてもいいといい
北に喧嘩や訴訟があれば つまらないからやめろといい
その後、内村鑑三さんのもとで伝道者となるために1927年に住んでいた岩手県から上京することになりますが、そのときには駅に200人以上の人が見送りに来たそうです。
宮沢賢次さんは日蓮宗の信者だったそうですが、斎藤宗次郎さんとは宗派を超えた交流があったことが斎藤宗次郎さんの日記に書かれているそうです。また、宮沢賢次さんの散文詩「冬のスケッチ」にも斎藤宗次郎さんを模したらしい「加藤宗二郎」という人物が登場するそうです。
宮沢賢治さんは斎藤宗次郎さんのような人になりたいという願いをこめて、この「雨ニモマケズ」を書いたとされています。
日照りの時は涙を流し 寒さの夏はおろおろ歩き
みんなにでくのぼーと呼ばれ
褒められもせず 苦にもされず
そういうものに
わたしは なりたい
斎藤宗次郎さんのように強くは生きられそうもないですが、せめて、「雨にも負けず 風にも負けず 雪にも夏の暑さにも負けぬ」ようにはしていたいです。「慾」はあるかな、そして、「
決して怒らず いつも静かに笑っている」・・・うーん、心掛けたいです。
暑い日が続き、体調を崩しやすいですが、どうぞ、健康管理にはくれぐれもお気を付けください。
本日も私のブログを読んでいただき、ありがとうございます。
今日はどのような一日になるのでしょうか。または、どのような一日を過ごされたのでしょうか。
その一日でほんの少しでも楽しいことがあれば、それを記憶にとどめるように努力しませんか。そして、それをあとで想いだすと、その日が明るくなる、それが元気の源になってくれるでしょう。
それを見つけるために、楽しいこと探しをしてみてください。昨日よりも、ほんの少しでも、いい一日でありますようにと、お祈りいたしております。
また、明日、ここで、お会いしましょう。