武道館、国技館、東京ドーム・・・とプロレスの名勝負が繰り広げられていますが、誰が何を言おうとも東京・水道橋にある後楽園ホールがプロレスの聖地であることには間違いないと思います。
ちなみに、日本テレビの人気番組の「笑点」の公開収録会場でもあるため、誰が何と言おうとも後楽園ホールが「笑点」の聖地であることには間違いないと思います。
この後楽園ホールはJR総武線の水道橋駅・西口から東京ドームへと続く陸橋を渡り、東京ドームシティ・コンプレックス内の黄色いビルの横をとおって、東京ドームにつながる広場の手前にある階段を降り、左側にある後楽園ホールビル(旧“青いビル”)の5階にあります。
初めて開催されたプロレスの試合は1966年(昭和41年)11月25日の旧日本プロレス・ウィンター・シリーズだったそうです。メインイベントはジャイアント馬場さん対ルイス・フェルナンデスさんの3本勝負でした。
ちなみに馬場さんは3000試合連続出場記念試合、デビュー30周年記念試合、還暦記念試合のすべてを後楽園ホールで試合しています。
後楽園ホールでのプロレス初試合に遡ること4年前の1962年にはボクシングの試合が開催されています。これがこけら落としとなっています。
子どもの頃にキックボクシングが盛んだった時の試合会場も後楽園ホールでした。
そういう訳でボクシング、キックボクシングやプロレスなどの格闘技の試合で多く使用されていますから、実際の所、「プロレスの聖地」どころか「格闘技の聖地」「格闘技のメッカ」などと呼ばれています。(2013年1月期のイベント総開催数は371回。その内格闘技関連のイベント開催数は329回)
後楽園ホールの総席数は満員時で1403席。リングサイドの特別席や立見席を含めた最大収容人数は2005人。
決して広くはないホールですが、数々の名勝負。事件が生まれた地でもあります。
1982年(昭和57年)10月8日
「長州力・藤波辰巳・アントニオ猪木 vs. S・D・ジョーンズ、バッファロー・アレン、アブドーラ・ザ・ブッチャー」の6人タッグ。
アマレスでミュンヘンオリンピック代表という実績を誇りながら、この頃の長州選手は「素質はありながらも、うだつが上がらない地味な若手レスラーの一人」であり、当時は新日本プロレスのエースとして、実力・人気とも上昇中の藤波選手が中心でした。
長州選手が新日本プロレスに入門した三年後の1978年に藤波選手はプロレス本家の殿堂ニューヨークのマジソンスクエアガーデンでカルロス・ホセ・エストラーダ選手を破り、WWWFジュニア王座を獲得し、ドラゴンブームが巻き起こりました。藤波選手が一大旋風を巻き起こしていた時代にアメリカ遠征をしていましたが、三度の海外遠征のチャンスも生かせずにいました。
そして、このタッグマッチは長州選手の海外遠征からの凱旋帰国試合でしたが、あくまでも引き立て役にすぎませんでした。こんな状況にキレかかっていた長州選手は試合中にもかかわらずパートナーの藤波選手に反旗を翻したのです。
これがプロレス史に残る名言と言われている「俺はおまえのかませ犬じゃない」発言です。
「藤波さんへの反抗っていう意識はないんですよ。藤波さんと自分を比べて、何にも劣るものはないと思ってましたから。”藤波さんと同じことをやれなくはない”という気持ちは常に持っていたね、うん。自分なりの個性で感情が爆発した、一種のアピールですよ。ただ、自分の体からああいう感情が湧き出るっていうのは、あの時が初めてでしたね。それがうまい具合に、お客さんや視聴者の皆さんに伝わったということです。まあ、スタンドプレーですから、一歩間違えれば、とんでもないことでしたけど」
これまで長州選手は藤波選手と対戦して6戦全敗でした。長州選手はその結果に納得しきれない部分もあったそうです。
「今、言えるのは、人生っていうのは長いか短いかわかんないけど、波乱も何もなく、ただ生きているような人生よりも、一年間でもいいから、びっしり何か充実感あった人生を選んだほうがいいんじゃないかと思うね。だから、一大決心であの日の後楽園ホールに臨んだんだと思う。個性も背負ってるものも違う、藤波さんだから思いっ切りぶつかっていけたんですよ。たぶん、最初っからリスペクトしていた。もし、かみつく相手が藤波さんじゃなくて、他の先輩レスラーだったら、今の僕はないでしょう。とっくの昔に引退しているはず。藤波さんが現役を続けていたかどうかもわかんない。これが反対の立場だったら、僕はすぐに白旗あげていたでしょうが、藤波さんだから受け止めてくれたんです。」
この後、長州選手は「革命戦士」と呼ばれ、新日本プロレスは黄金時代を迎えるとともに、1983年4月に三度目の一騎打ちで、長州選手が藤波選手から初勝利を収め、WWFインターヘビー級王座を奪いました。
人生はすべてが選択です。
やらない後悔よりも、やってでも苦労した方が自分の今後にもなります。
努力をしても報われない奴はいる。間違いなくいる。
ただ成功した奴は、必ず努力をしている。
まあ、俺の場合はこんなちっこい体で…基本的に努力もしたし、
自分なりに自分のスタイルを最後まで貫き通して、
ここまでこれたのは…まあ自分で言って恥ずかしいとも思わないけど、
日々の鍛錬だと思う。
by 長州力