今、世界は紛争、テロや弾圧やいわれのない侵攻などにあふれています。
わざわざ改めて書いておくことではありませんが、最初に断っておきたいこととして、悲しいことですが私は直接争っている最前線の方に対して悪い感情は持ち合わせてはいません。ただ、一方的に仕掛けている指導者に対してはいい印象を持ってはいません。
地位も立場もインフルエンサーでもなく、お金もない、どこからどう見ても「フツーの日本人」の私ですが、「じゃあ紛争、テロや弾圧やいわれのない侵攻で苦しんでいる方々に対して、私個人に何ができるのか」と考えてみました。
過日、サッカー・トルコ2部リーグの試合前に両チーム選手がトルコ語と英語で「戦争反対」と書かれたTシャツを着用することになっていましたが、元;トルコ代表選手だけがTシャツを着用しませんでした。この行動がSNS上で批判が起こりましたが、本人はこのことについて、こう説明しています。
「中東では毎日何千人もの人々が死んでいる」「僕も悲しい気持ちになっている。罪のない人たちの痛みを共有しているんだ。そこでの迫害を無視する人たちは、ヨーロッパになるとこういうことをするんだ。Tシャツはそれらの国(中東)のために作られたものではないので、着たくなかったんだ」「もし、着ていたら、良心の呵責があったはずだ。世界のどこかで戦争があることは悲しい。自分は罪なき人々の痛みを分かち合う」
まさしく、そのとおりだと私も考えますし、あえての行動で注目を集め、中東の問題をあらためて問題提起したのかもしれません。たしかに、日本で世界で起こっていることで、いまだに続いていることが多いです。やはり、関心を持ち続けることは大事なことなのだと考えます。
「政治的なこと」「宗教や信仰的なこと」や「国家としてこうすべき」などと大それたことをいうつもりはありません。さらに、「日本で起こっている問題だってあるくせに」といわれるかもしれません。
でも、平和で家族一緒に過ごしていた日常が突然壊され、親しい人や家族と突然別れなくてはならなくなってしまうことを、自分に置き換えて考えたりしますと、やはり悲しくなってしまいます。だからこそ、私個人に何ができるのかなのです。
たとえば、直接的なこととして、ウクライナが国際義勇軍を募集しているとあり、世界中から1万数千人の応募があり、日本人も約70人が応募したというニュースがありましたが、私にはそれに応募できるほどの技能や体力、そもそもの勇気がありません。では、ウクライナから脱出して、他国へ避難している方々に対してボランティアとして支援することも、現実的には難しいことです。
間接的なこととして、戦争の恐ろしさについて語り合い、後世に伝えていくことや、集会みたいな会に参加することも考えられます。これは将来のことを考えますと、大事なことではあると考えます。まったく否定するつもりも、批判するつもりもありませんが、将来のことすらわからない方もいますので、できるだけ早くできることは何かと考えた結果へのできることとしては募金なのでしょうね。
でも、わざわざ「募金します」と宣言することではありませんし、「みなさん募金しましょう」というつもりもありません。直接的にでも間接的でも何かしらの支援をしたことで、私が賛辞をお贈りすることはないでしょうし、何もしない/できないことに対して、非難することもありません。一人一人が、「今、自分ができること」の結論ですから、その結論を尊重するだけです。
何よりも、一日も早く平和が戻ることを願うだけです。
本日も、私のブログにお越しいただいてありがとうございます。
今日はどのような一日になるのでしょうか。または、どのような一日を過ごされたのでしょうか。
その一日でほんの少しでも楽しいことがあれば、それを記憶にとどめるように努力しませんか。そして、それをあとで想いだすと、その日が明るくなる、それが元気の源になってくれるでしょう。
それを見つけるために、楽しいこと探しをしてみてください。昨日よりも、ほんの少しでも、いい一日でありますようにと、お祈りいたしております。
また、明日、ここで、お会いしましょう。