「1度生きると書いて『一生』! 行動に移さなかったら、夢が叶う確率は0%! だが、行動に移せば確率は1%にもなる!」
プロ野球12球団合同トライアウトが終わりました。秋季キャンプでのテストという選手はいますが、(育成)選手契約のニュースは聞こえてきません。
それよりも一足先に行われていた、独立リーグ・四国アイランドリーグplusのトライアウトリーグ2015の合格者が発表されました。たった5人の合格者ですが、その中に芸人が合格したというニュースがありました。
フジテレビ系「とんねるずのみなさんのおかげでした」の番組の中で「博士と助手 ~細かすぎて伝わらないモノマネ選手権~」でブレイクしたお笑いコンビ・360°(さぶろく)モンキーズの杉浦双亮さんです。誰もが忘れているような助っ人外国人選手の細かすぎるモノマネを披露している方です。
トライアウトリーグでは4イニングに登板、被安打5、四死球1、奪三振2、自責点1の成績だったそうです。
杉浦さんは“野球のモノマネをする芸人”ではありますが、小学校三年生からピッチャーとして少年野球で活躍し、中学時代では、「チーム自体はあんまりでしたが、ただ、周りを見ても、僕より上回っている選手はいなかったと思います。なので“あれ、オレ、いけるぞ”と思っていました」だったらしいです。
将来の夢は“プロ野球選手になること”でした。高校野球の名門・帝京高校へ入学し、野球部に入学し、全国から集まる選手と出会って「高校で、同世代でこんなにスゴイ選手がいるんだと知りました」と壁にぶつかったそうです。
上級生が卒業した後に141km/hの球速を期待され、一番手のピッチャーとなるも、コントロールに課題があったため、結局、三番手くらいになってしまったそうです。高校卒業後は夢であったプロ野球選手になるためのアクションを何も出来なかったそうです。
ただ、この高校時代はその後の人生に大きな自信になっているそうです。
「僕らの時代は放課後3時から遅くて11時くらいまで練習していました。休みの日はずっとやってます。仕事やプライベート、今までの人生で色々ありましたが、高校時代の練習ほど辛くて厳しいことはありません。あの時の厳しさに耐えることができたから、今があると思います。感謝しています」
四国アイランドリーグPlusはDH制を採用しているため、ピッチャーが打席に入ることはありません。
ですから、元;日本ハムファイターズのマイク・イースラーさん(MLB通算1000本安打、通算ホームランが100本を超えるスラッガーで、1988年途中に入団。極度のアッパースイングはゴルフスイングと呼ばれたものの、来日初打席で初ホームランを放ち、打率.304、ホームラン19本と大活躍。1989年も開幕から主軸を打っていたものの、38歳と高齢で、最終的には肋骨を骨折して退団。現在はロサンゼルス・ドジャース打撃コーチ)のようなバッティングフォームは観られません。
でも、高校時代の忘れ物を取り戻しには行けるでしょう。