「人間は働くために生きているのか。生きるために働いているのか」
正直よく判りません。働くために生きているようにも思えますし、生きるために働いているのでもありますし。
まあ、今の自分にとってはどちらでも良いです。
でも、これから社会へ出て行く若者にとっては働くことは他人事ではなくなっている訳で、「どんな仕事をするのか」「どんなスタイルで働くのか」は重要な問題となります。
プロスポーツなどに活躍の場があればその道に進むでしょうし、一般的には企業に就職するという働き方が規定路線であると思います。
でも、それ以外に選択肢がないのも、面白くないでしょう。これから何十年も働いていくのに、選択肢が一つでは不自由というものです。
会社の中を見渡しても働き方はたくさんあります。同じような仕事をしていてもです。
ただ、サラリーマンでも、起業家でも、楽にお金が稼げるものではありません。どんな仕事をしていたとしてもお金を稼ぐのは努力しなくてはならないですし、知恵を振り絞らなければなりません。
ですが、働き方のスタイルはある程度自分で選ぶことが出来ます。いろんな働き方がありますから、自分に合った働き方を探してみるのも良いと思います。
さて、今日のテーマは「仕事はありません」です。
もちろん、人生と仕事についての哲学的な話であるはずがありません。
高校野球長野県大会の準決勝、決勝を観戦していて気が付いたこと。
この4校の応援には「仕事はありません」でした。
それ以前に観戦した四回戦までの試合では「仕事」(http://blog.goo.ne.jp/full-count/e/c73aedf5ca97376f225f25e6e4637225)の応援はありました。
以前のブログに「甲子園の応援では観たことがない」と書きましたが、甲子園へ行くようなチームには、そのような応援がないと言う方が正しいのかも知れません。
(大阪大会の準決勝ではあったらしい・・・)
でも、応援がないからと言って「仕事」をしないということではありません。
やるべき時は、キチンとやるのです。
時に無理難題と思える特命事項に対しては仕事が出来ない理由を並べたくなります。
でも、そうではなく「出来ない理由に興味はない、出来る理由を考えて、実行しろ」とは言われます。
しかし、それは説明が不充分だから出来ない理由を並べたくなるのです。
なぜ、その仕事が必要なのか。やることでどういう効果を期待しているのか。
判りやすく、納得できるようにしなければなりません。そうでなければ、やらされ感だけであり、次へと繋がりません。
毎日のように出来る理由を考えさせ、一緒に探し、出来る現実を創造するのが、仕事です。
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