野球小僧

松坂大輔 / 中日ドラゴンズ(もしかして)

松坂大輔選手は、青森県青森市生まれ、東京都江東区育ちのプロ野球選手です。今シーズンはNPB・福岡ソフトバンクホークスに所属していたものの、現在は未所属であり、もしかして来年はNPB・中日ドラゴンズのナゴヤ球場で商活躍する選手になる予定です(と、一昨日の中日スポーツの一面から忖度)。

「ノーコメント」というコメントから、一歩前進の入団テストになりました。ないならば「ない」と明確にコメントすればいいのですが、そうではないということは、少なからずも可能性があるということだと思います。

5歳から小学三年生までは剣道に打ち込み、小学三年生から野球を始めます。
横浜高校時代は、練習嫌いでしたが、二年生時の夏の神奈川大会準決勝での自身の暴投によるサヨナラ負け以降猛練習、三年生時に150km/h超の球速を出し、切れ味鋭いスライダーを武器に超高校級ピッチャー「平成の怪物」として注目を浴びました。

1998年 第70回選抜高等学校野球大会では他校を寄せ付けず優勝。第80回全国高等学校野球選手権大会では、準々決勝でPL学園高に延長17回という長丁場の試合に250球を投げ完投勝利。決勝の京都成章戦では59年ぶり史上2人目となる決勝戦のノーヒットノーランという快挙。秋のドラフト会議では3球団が競合の末、西武ライオンズが交渉権を獲得し、入団。

西武時代
1999年 4月7日、初先発となった東京ドームでの日本ハム戦で155km/hの速球を披露し、8回2失点の好投で初勝利を記録。4月27日のロッテ戦でプロ初完封。最終的に16勝を挙げて最多勝を獲得。また、ゴールデングラブ賞と高卒新人としては史上初となるベストナインを受賞し、高卒新人ピッチャーとして33年ぶりの新人王
2000年 15年ぶりに10代での開幕ピッチャー。14勝を挙げ2年連続の最多勝。8月のシドニーオリンピック野球日本代表に選ばれる
2001年 15勝15敗で3年連続最多勝を獲得。新人からの3年連続最多勝は高卒新人では史上初。沢村賞を受賞
2002年 開幕6連勝したものの、右ヒジを痛め、長期離脱。日本シリーズでは第1戦に先発、第4戦にリリーフで登板したがいずれも敗戦投手
2003年 自己最多タイの16勝を挙げ、最優秀防御率のタイトルも獲得。アテネオリンピックの野球アジア予選では大会の最優秀投手に選ばれる
2004年 7月のオールスターゲーム第1戦で2番手として登板し、自己最速タイとなる156km/hを記録。アテネオリンピック野球日本代表に選ばれる。10勝6敗で、最優秀防御率のタイトルを獲得
2005年 打線の援護が少なく、野手の失策も多かったため、防御率リーグ3位と優れていたにもかかわらず、14勝13敗。オフにポスティングシステムでのメジャー挑戦を訴えたが、球団は制度の行使を否認
2006年 第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)に日本代表として出場。先発したすべての試合で勝利し、大会最多となる3勝、防御率1.38の成績で大会の最優秀選手(MVP)を獲得。レギュラーシーズンでは6月16日にドラフト制度導入後最速(191試合)の100勝を達成。オフにはポスティングシステムでボストン・レッドソックスへ移籍

レッドソックス時代
2007年 4月5日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦でメジャー初先発し、7回を6安打1失点10奪三振でメジャー初勝利を挙げる。5連勝などを記録し、5月第3週のリーグ週間MVPを受賞。前半戦は18試合10勝6敗、防御率3.84、WHIP1.24の成績。後半戦は14試合5勝6敗、防御率5.19、WHIP1.44と不調に陥るも、シーズン最後の登板となった9月28日のミネソタ・ツインズ戦で日本人選手史上初・メジャー史上5人目となるメジャー1年目での15勝と200奪三振。チームの12年ぶりの地区優勝に貢献。シーズン通算ではリーグ10位の15勝、同6位の201奪三振を記録したが、与四球率はリーグワースト6位、1試合の平均球数はメジャー最多の108.8球
2008年 東京ドームで行われた3月25日のオークランド・アスレチックスとの日本開幕戦に登板。米国開幕戦で初勝利を挙げ、5月まで黒星なしの開幕8連勝、防御率2.54、WHIP1.29を記録したものの、5月後半に右肩回旋筋腱板の張りを訴え故障者リスト入り。6月に復帰し、前半戦は10勝1敗、防御率2.65、WHIP1.38。9月15日のタンパベイ・レイズ戦で日本人シーズン最多勝となる17勝目を挙げ、21日のトロント・ブルージェイズ戦で18勝目を挙げ、チームを2年連続でのポストシーズン進出に導く

2009年 第2回ワールド・ベースボール・クラシック日本代表に選出。第1ラウンドA組第2戦の韓国戦で勝利、第2ラウンド1組初戦のキューバ戦で2勝目、準決勝の米国戦で3勝目を挙げ、チームは決勝で韓国を破って優勝し、2大会連続で最優秀選手に選出。シーズン開幕後は2試合連続で打ち込まれ、右肩の疲労を理由に4月に故障者リスト入り。6月に復帰し、シーズン初勝利するものの、再び故障者リスト入り。9月に復帰して以降は3勝1敗、防御率2.22、WHIP1.35と復調したものの、シーズンを通して4勝6敗、防御率5.76、WHIP1.87とプロ入り以降もっとも悪い成績に終わる

2010年 開幕時は故障者リスト入り。5月に復帰し、初勝利を挙げ、次に先発したブルージェイズ戦では7回3安打1失点9奪三振、その次のフィラデルフィア・フィリーズ戦では8回2アウトまでノーヒットノーランを続ける好投を見せたが、次に先発したロイヤルズ戦では9四死球の大乱調など好不調の激しいピッチング。6月に日本プロ野球2リーグ制以降最速となるNPB/MLB通算150勝を達成したが、右前腕部の張りを訴えて再度故障者リスト入り。6月に再度復帰し、8月に日本人選手3位タイのメジャー通算45勝となる8勝目を挙げ、球団史上2番目のペースで通算500奪三振に到達。9月には日本人歴代単独3位のメジャー通算46勝目となる9勝目を挙げたものの、2年連続で規定投球回数未到達、一桁勝利に終わる

2011年 開幕2連敗の後、初勝利を挙げ、15イニング連続無失点を記録した他、5月にはメジャー初となるリリーフ登板を経験。しかし、4月末からの右ヒジ張りによって、故障者リスト入り。一時帰国を経て、6月にトミー・ジョン手術を受ける

2012年 6月のワシントン・ナショナルズ戦で復帰。球速は平均約147.3km/h、最速約150km/hを記録するが、5回を5安打、4失点、8奪三振、1四球の投球で敗戦。その後4試合に先発するも勝てず、7月に右僧帽筋を痛め故障者リスト入り。8月末に復帰し、日本人史上4人目のメジャー通算50勝目となる復帰後初勝利を挙げる。しかし、その後の登板は白星を挙げることができず、10月末にFA

インディアンス傘下時代
2013年 2月にクリーブランド・インディアンスとマイナー契約。スプリングトレーニングには招待選手として参加し、8イニングを投げ防御率2.25、WHIP1.38の成績を残すが、開幕マイナーを通告される。しかし、マイナーで開幕を迎えた際に球団が支払うボーナス10万ドルを節約する目的で一旦自由契約となり、契約内容を変更したマイナー契約で再契約。3Aコロンバス・クリッパーズで開幕を迎え、開幕から5試合に先発するが、与四球率7.84と制球に苦しんで防御率3.92、WHIP1.45の成績を喫し、4月末に左脇腹を痛め、故障者リスト入り。6月に復帰し、前半戦は12試合1勝5敗、防御率4.55、WHIP1.39の成績。後半戦は7試合4勝3敗、防御率3.13、WHIP1.21と復調したが、8月20日に契約解除を申し出てFA

メッツ時代
8月22日にニューヨーク・メッツとメジャー契約。コロンバスでの登板から中3日で先発したが、2回までにホームラン2本を浴び5回6安打5失点で黒星。移籍後3試合で12回1/3を投げ15失点を喫していたが、9月に初勝利。移籍後4試合目以降は26回1/3を13安打6失点と好投を続け、初勝利から3連勝を記録してシーズンを終え、10月31日にFA

2014年 1月にメッツとマイナー契約で再契約。招待選手として参加したスプリングトレーニングでは6試合23回2/3を投げ、防御率3.04、WHIP1.27の成績。マイナー契約を延長し、3Aラスベガス・フィフティワンズへ異動。4月にメジャー契約、リリーフとして起用され、20日のブレーブス戦では延長11回から登板し3回を投げ、NPB/MLB通算2000奪三振。5月にシーズン初先発し2勝目を挙げ、6月から先発ローテーションに入り、7月12日のマーリンズ戦では自己最多タイの10奪三振の投球。後半戦は再びリリーフで起用され、7月には右ヒジの炎症で15日間の故障者リスト入り。8月末に復帰し、9月は4試合の登板で無失点と好投。最終的には先発として9試合2勝3敗、防御率4.24、WHIP1.35、リリーフとしては25試合1勝0敗1S、防御率3.44、WHIP1.34。シーズン終了後FA。12月4日に福岡ソフトバンクホークスに入団発表

■ソフトバンク時代
2015年 オープン戦登板後、右肩の筋肉の疲労などで離脱していたが、5月20日の二軍戦で復帰した。8月に内視鏡下による「右肩関節唇及び腱板クリーニング術」「ベネット骨棘切除術」「後方関節包解離術」を受ける
2016年 10月2日に日本復帰後初の一軍昇格を果たし、シーズン最終戦となった東北楽天ゴールデンイーグルス戦で、2006年10月7日以来約10年ぶりの一軍マウンドに上がる。しかし、1回で被安打3、与四死球4、暴投1の5失点(自責点は2)で、翌日登録抹消。オフにウィンターリーグに参加。4試合0勝3敗、防御率2.70
2017年 オープン戦で7回無安打無失点の投球を見せたが開幕は二軍。4月15日のオリックスバファローズ戦で初先発の予定だったが、右肩の異変で急きょ回避。以後二軍でも実戦登板はなくリハビリ生活。11月5日にホークス退団発表

NPB通算 205試合108勝60敗1S0H 1357奪三振 防御率2.96 WHIP1.14
MLB通算 158試合56勝43敗1S3H 720奪三振 防御率4.45 WHIP1.40


(全盛期と比べてはいけませんが・・・)

ドラゴンズ事態には森監督を始め、知己が多くことから可能性はあると思っていました。森監督はライオンズ入団時の二軍ピッチングコーチ、友利結国際渉外担当はライオンズ時代の兄貴分、小山良男スカウトは高校時代のキャッチャーです。これだけ縁のある関係者が多ければ、現在のコンディションも正確に把握できるってものでしょうし、球団幹部は「使えない選手を獲得することはない」と話していますし。

本当に投げられるのならば、チーム事情もチーム事情ですから獲得しておいてもいいと思います。何しろ、2年連続で2桁勝利を挙げた投手はゼロですから、戦力としての期待は中10日くらいでもいいと思います。それと、ナゴヤドームの集客を期待できることもあります。ただ、チケット入手が難しくなるのは困りますが。たとえ、年俸が2000万円としても、1試合で元は取れると思いますので。

ただ、野球の神様、どうか、川崎憲二郎選手の二の舞にならないようにお願いします。(-人-)
(村田修一選手もキャンプでテストという可能性があるような気がします)


コメント一覧

まっくろくろすけ
eco坊主さん、こんばんは。
簡単ではないと思いますが、もう一度一軍のマウンドでという気持ちはわかりますし、私も観てみたいと思います。
ただ、全盛期とは比べてはいけないでしょうね。あくまでも、現在の力で戦力になるかどうかでしょう。本人も分かっていると思いますが。

一月下旬のナゴヤ球場は報道陣でごった返しでしょう。
eco坊主
おはようございます(*Ü*)ノ"☀

松坂大輔選手ね~
横浜高校~獅子~赤い靴下時代の全盛期を知っているのでいくら栄枯盛衰といえども寂しい限りです。
竜で投げて(vs兎以外で)活躍して欲しいと思いますが・・・
鷹を離れたことには不信感がありますわ~あの年俸契約が本当なら鷹に恩返しは必要だったのではないでしょうか!?リハビリコーチ兼任としての申し出があったわけですから。
3年12億かぁ~(メ・ん・)?2年8億契約の選手がいたな。
大丈夫か!?

>野球の神様、どうか、川崎憲二郎選手の二の舞にならないようにお願いします。(-人-)
↑そういえばそんなこともありましたね!
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