米国のドナルド・トランプ大統領は2024年12月22日にグリーンランド購入の意思を示した。
「世界の国家安全保障と自由のために、米国がグリーンランドを所有し管理することが絶対に必要であると感じている」
前回大統領だった2019年にも、デンマーク自治領であるグリーンランドを「大規模な不動産取引」と表現して、購入する意思を示したのでこれが2回目。
しかし、グリーンランド外相は「島は売り物ではない」と述べて提案を拒否。デンマークのメッテ・フレデリクセン首相も、「ばかげている」「幸いにも、他国やその住民を売り買いする時代は終わった」と提案に応じない姿勢を見せ、今回もすでにグリーンランドやデンマークは売却の意思はないとしている。
ただ、グリーンランド購入案はトランプ大統領が初めてではなく、1946年に当時のハリー・トルーマン大統領が1億ドルで購入を提案。このときもデンマークは応じていません。
ただ、歴史では米国は何度も領土購入しているのも事実――(金額は当時の購入価格)。
「世界の国家安全保障と自由のために、米国がグリーンランドを所有し管理することが絶対に必要であると感じている」
前回大統領だった2019年にも、デンマーク自治領であるグリーンランドを「大規模な不動産取引」と表現して、購入する意思を示したのでこれが2回目。
しかし、グリーンランド外相は「島は売り物ではない」と述べて提案を拒否。デンマークのメッテ・フレデリクセン首相も、「ばかげている」「幸いにも、他国やその住民を売り買いする時代は終わった」と提案に応じない姿勢を見せ、今回もすでにグリーンランドやデンマークは売却の意思はないとしている。
ただ、グリーンランド購入案はトランプ大統領が初めてではなく、1946年に当時のハリー・トルーマン大統領が1億ドルで購入を提案。このときもデンマークは応じていません。
ただ、歴史では米国は何度も領土購入しているのも事実――(金額は当時の購入価格)。
■ルイジアナ購入(1803年)
約214万4510平方kmのルイジアナの地をフランスから1500万ドルで購入。
ミシシッピ川からロッキー山脈一帯の現在の15州(アーカンソー、コロラド、アイオワ、カンザス、ルイジアナ、ミネソタ、ミズーリ、モンタナ、ネブラスカ、ニューメキシコ、ノースダコタ、オクラホマ、サウスダコタ、テキサス、ワイオミング)の地。
当時のトーマス・ジェファーソン大統領は、フランスからニューオーリンズだけを買い取るため、ジェームズ・モンローさん(後の大統領)を特使として派遣。しかし、当時のフランス統領ナポレオン・ボナパルトさんは、フランスのルイジアナ領全部を売却。
■フロリダ(1819年)
スペインとの間でアダムズ・オニス条約を調印。スペインは「ウェストフロリダ」と「イーストフロリダ」を割譲。両フロリダは現在のアラバマ、ルイジアナ、ミシシッピとフロリダ・パンハンドル(フロリダ州北西部)にまたがる地で、スペインの植民地だった。
米国独立戦争(1775~1783年:米国の13の植民地が英国からの独立を成し遂げた)の間、両フロリダは英国の植民地だった。1783年のパリ条約で独立承認されると、両フロリダはスペインに戻された。そして、1810年にウェストフロリダの米国人植民がスペインからの独立を宣言。当時のジェームズ・マディソン大統領と米議会はこの反乱に乗じて、同地は「ルイジアナ購入」で獲得した土地の一部であると領有権を主張。1815年に当時のジョン・クインシー・アダムズ国務長官がスペインのドン・ルイス・デ・オニス特使と交渉を開始。
このアダムズ・オニス条約で、米国は反乱の代償として500万ドルを支払い、さらに、「ルイジアナ購入」で得た地域の西側国境を画定。スペインが領有権を主張していた「パシフィック・ノースウェスト(現在の米アラスカからカナダ太平洋岸を経て米北西部に至る太平洋岸北西部)を放棄させ、スペインにはテキサスの主権を承認。
■メキシコ割譲(1848年)
米国・メキシコ戦争(米国が1845年にテキサスを併合、メキシコは外交交渉を拒否し、1846年に戦闘開始、米国が勝利)は1848年、当時のジェームズ・ポーク大統領がメキシコ市でグアダルーペ・イダルゴ条約に調印して終結。メキシコは約135万9744平方kmの領土を1500万ドルの一括払いで米国に割譲。割譲した領土は現在のカリフォルニア、ネバダ、ユタ州とアリゾナ、コロラド、ニューメキシコ、ワイオミング州の一部。
条約はこれらの地域に残ったメキシコ人に自動的に米市民権を付与し、メキシコ系米国人はそれまでの財産を所有することも許された。
■ガズデン購入(1854年)
現在のアリゾナ州とニューメキシコ州の一部を取り囲む約7769万9643平方kmの地域をメキシコから買い取るため、1千万ドルを支払い。
米国・メキシコ戦争は1848年に終結したものの、両国ともニューメキシコ南部からテキサス西部にかかるメシーラ渓谷の領有を主張。
当時のフランクリン・ピアース大統領はジェームズ・ガズデン・メキシコ担当相をメキシコに派遣し、メキシコのアントニオ・デ・サンタ・アンナ大統領と交渉し、新たな条約を結び、米国の南側国境を策定。
■アラスカ購入(1867年)
約155万3993平方kmの地域をロシアから720万ドルで買い取り。
当時のロシアのピョートル大帝はアラスカの天然資源に関心を持ち、1725年に探検に乗り出したが永住植民者数が400人を超えることはなく、植民のための主要支援策の資金に事欠いていた。
また、ロシアはクリミア戦争(1853~1856年)に敗れたあと、1859年に米国にアラスカ売却を申し出。買収の駆け引きは米国内の南北戦争(1861~1865年)のために遅れ、1867年にアンドリュー・ジョンソン大統領が条約に調印。
アラスカは1959年まで州にはならなかった。
■フィリピン諸島(1898年)
1898年、米国・スペイン戦争(キューバの独立闘争に介入した米国とスペインの戦争。米国の勝利)が終結し、パリ条約が結ばれた。その結果、スペインは3世紀以上にわたって植民地にしていたフィリピンを米国に譲渡。
このパリ条約でキューバの独立が認められ、グアムとプエルトリコも米国に割譲。米国はフィリピン譲渡に対してスペインに2千万ドルを支払い。しかし1899年にフィリピンで独立を要求して米国に反乱を起こし、米国・フィリピン戦争に発展。
戦争は約3年間続き(フィリピンの抵抗は米国に武力鎮圧された)、最終的に米国がフィリピンの独立を承認したのは1946年。
■バージン諸島(1917年)
約337平方kmにおよぶカリブ海のバージン諸島をデンマークから2500万ドルで買い取り。
当時デンマーク領西インド諸島であったが、米国は同諸島を獲得してカリブ海に影響力を持ちたいとして、1867年から画策し、1917年になってウッドロー・ウィルソン大統領が購入条約に署名し、バージン諸島は正式に米国の領土として移管。
トランプ氏は2025年1月の就任を前に、他国でも米国第一主義の政策を進める姿勢を見せている。
これら当時とは違って、現代では他国の領土を購入して自国の領土を拡大することは通用しないでしょう。
そもそもが、所有権のない地域はほとんどないですし、力づくで領土拡張なんていう帝国主義なんてことは時代錯誤(のことをやっている国はありますが)。
うーん、なんだかなんでも欲しがるどこかの球団のようだ・・・。
本日も、拙文最後までお読みいただきありがとうございます。
今日という日がみなさまにとって、よい一日になりますように。
また、明日、ここで、お会いしましょう。それではごめんください。