もし人が生を享(う)けて、
何の傷もその身に受けたことがないとしたら、
それは果して名誉なことであろうか。
歩いていて転ぶときと一生懸命走っていて転ぶときと、
いずれが痛いか。
いずれの傷が大きいか。
傷は一生懸命に、
真実に生きたことのしるしだ
何の傷もその身に受けたことがないとしたら、
それは果して名誉なことであろうか。
歩いていて転ぶときと一生懸命走っていて転ぶときと、
いずれが痛いか。
いずれの傷が大きいか。
傷は一生懸命に、
真実に生きたことのしるしだ
三浦光世さん・三浦綾子さん著の「太陽はいつも雲の上に 私たちを支えた言葉」の冒頭に出てくる言葉です。
生前の三浦綾子さんはいろんな病気と闘ってきました。
普通の人ならば、それによって挫けてしまうこともあると思います。
でも、人生のピリオドはただ一つで、あとはコンマ、コンマの連続だと言います。最後の終止符を打つまでは、人生いろいろなところでコンマが打たれるのです。
大きな不幸と思われることが、実は人生の大切な曲がり角であったと思うと。
失恋も病気も、自分自身に克てない弱さも、あらゆる失敗も、すべてが自分の大事な履歴。それは大学を卒業したよりも立派な履歴になるとさえ思っているという。
人生は自分の思いどおりにならないことの方が多いですよね。努力したって、がんばったって上手くいかないことだってあります。
でも、それって、まだ過程。途中なのです。だから、その先へと進むことが大切なのですよね。
そこで、歩みを止めてしまったら、今までやってきたことが残らなくなってしまうかもしれませんから。
人は自分で痛みを知るからこそ、成長できるのです。上手くいっているだけでは、真実が判らないままかも知れませんから。
太陽はいつも雲の上に。
本日も、拙文最後までお読みいただきありがとうございます。
皆さまにとって、今日という日が昨日よりも特別ないい日でありますようにお祈りいたしております。
また、明日、ここで、お会いしましょう。それではごめんください。
皆さまにとって、今日という日が昨日よりも特別ないい日でありますようにお祈りいたしております。
また、明日、ここで、お会いしましょう。それではごめんください。