私のブログにお越しいただいてありがとうございます。新型コロナウイルスによってお亡くなりになった方々のご冥福をお祈りするとともに、罹患された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
また、日々新型コロナウイルスと戦っている医療関係など、私たちの命と生活を守るために働いてくださっている関係者の方々に、心からの敬意と感謝いたします。
どうか、みなさまとご家族、関係者の方がご健康であっていただければと思っております。1日でも早く流行が終息の方向に向かうことを願っております。
2020年シーズンの日本プロ野球開幕は、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて3月20日の開幕予定が延期され、約3ヶ月経った6月19日に開幕となります。
開幕日を決めた理由を、日本プロ野球機構(NPB)の斉藤惇コミッショナーは「準備期間から、自然と6月中旬になった。金曜日という日から19日が一番いいというのがあった」と12球団代表者会議後の記者会見で説明していますが、プロ野球にとって、6月19日という日は、今から174年前の1846年6月19日、公式の記録に残る史上初の野球の試合が米国・ニュージャージー州ホーボーケンのエリシアン・フィールズ(クリケット場のある草原)で行われた日なのです。
米国のメジャーリーグベースボール(MLB)は、MLB機構と選手会が開幕に向け協議を続けていますが、話は平行線をたどったままで、シーズン中止になる可能性もいわれている中、NPBが6月19日に開幕するというのは、単なる偶然の一致のようにも思えるのですが、野球というスポーツにとっては因縁を感じます。
さて、1845年のことですが、アイルランドで「ジャガイモ飢饉」が発生しました。「胴枯れ病」というジャガイモの病気は、ジャガイモを枯れさせ、さらにそれを食べたアイルランドの約100万人という多くの方が亡くなってしまいます。また、約100~200万人のアイルランド人は母国を捨てて移民の道を選びます。当時のアイルランドの人口は約800万人と推測されていますので、亡くなった方の多さ、移民した方の多さには驚きを隠せません。
「ジャガイモ飢饉」が始まったのと同じ1845年。ニューヨークに住むアレクサンダー・カートライトさん、ボランティアの消防隊メンバーの健康増進や結束強化のため、「ニッカボッカー・クラブ」という組織を立ち上げ、親睦のために「クリケット」から生まれた「タウンボール」というスポーツを改良した「ベースボール(野球)」というスポーツを始めます。
当時行われていたタウンボールというスポーツは、女性たちが中心のスポーツであり、ボールの投げ方は現在のソフトボールの投法に近かったそうです。また人数も試合進行もまちまちだったタウンボールにカートライトさんが明確なルールを定め、本格的なスポーツとして生まれ変わらせることにも取り組み、1チーム9人、3アウトで攻守交代、4つのベースを等間隔でダイヤモンド形に配置など、現在の野球の元となるルールを決めてゲームとして勝敗を決められるスポーツへと進化させました。
この競技規則が初めて適用された1846年6月19日の試合が、そのニッカボッカーズとニューヨークスというチームにより行われ野球史上「最初の試合」と認められているのです。試合の方はクリケットなどの球技に習熟したメンバーの寄せ集めチームだったニューヨークスが23-1で勝利を収めています。
ちなみに、野球史上最初の「球団」と認められているのはニッカボッカーズです。ニッカボッカーズは会費を納めた正会員からなり、会則が定められ、スコアブックも用意し、ニューヨークに本拠を置くスポーツクラブとして地域社会から認知されていました。
これらのことから、カートライトさんは「野球の父」と称されているのですが、カートライトさんは、その後、野球の歴史というスコアブックには登場しませんでした。1849年にゴールドラッシュの波に乗り、カリフォルニアに移住し、さらにハワイへ移住して実業家として成功、行く先々で野球の普及に尽くしたそうです。
さてさて、1846年6月19日以降、野球はニューヨークで人気となり、そこで中心となってプレーしていたのが移民してきたアイルランド系の方々です。当時のニューヨークは移民の玄関口で人口も急増しており、熱気あふれる大都会に移住して人生を立て直し、生きる喜びを見出そうとする人たちの思いが野球人気に火をつけたと考えられています。そして、野球は全米へ広まっていきます。
その後、日本へは1871年に来日した米国人のホーレンス・ウィルソンさんによって野球が伝えられ、現在につながっています。
災厄を逃れ、新天地で野球というスポーツに熱中した1846年6月19日。新型コロナウイルス感染からの再起をめざす日本プロ野球界の2020年6月19日。
単なる偶然ではなく、必然だったのかも知れません。場所と時代を超えた思いには通じるものがありそうです。
(2020年2月8日 沖縄県北谷公園野球場)
「いつまでも変わらぬ愛を」持ちたいものです。もちろん、自分の身近な人だけではなく、世界中の人に対してもです。そうなれば私たちはきっと幸せになれると思います。
また、明日、ここで、お会いしましょう。