2019年末から2020年の新型コロナウイルス感染症の流行を機に、一躍脚光を浴びた「アマビエ」。流行が終息していないため、いまだに人間界にいろいろな姿で見かけています。
同じく、話題になったのは2020年のことですが、山梨県立博物館(同県笛吹市)がツイッターで発信した江戸時代末期にコレラ流行を予言したとされる「ヨゲンノトリ」がいます。1857年12月、加賀国(現;石川県)にあらわれた、黒と白の2つの頭を持つ不思議な鳥です。「来年の8月・9月に世の中の9割の人が死ぬ難が起こるが、私の姿を朝夕に拝めば難を逃れることができる」と告げ、実際に翌年にはコレラの大流行が起こり多くの人が亡くなっています。
1858年にコレラが長崎から流行し、7月には江戸(現;東京)に到達し、8月下旬から数ヵ月で10万人以上の方が亡くなったと伝えられています。加えて、京都・大阪にも被害が拡大し、日本中で深刻な状況となりました。ちなみに、この1858年は「日米修好通商条約」が調印され、「安政の大獄」が発生した年でもあります。
7月下旬には甲斐国(現;山梨県)でも感染が拡大していきました。この7月には水害で多くの人が亡くなり、喜左衛門さんはその対応に追われていました。そして、7月末、村の用事で甲府の役所に赴いていた喜左衛門さんは、甲府でも多くの人が亡くなっていく様子を目にして驚いたそうです。
そんな中で、8月初旬に喜左衛門さんが聞いたウワサが「ヨゲンノトリ」でした。この時、甲府では1日に30~40人もの人が亡くなるようになっていたとのことです。甲府の善光寺などの寺社では、病魔退散を祈る祈祷や祭礼が盛んに行われ、8月16日ころから、喜左衛門さんも村で昼夜の念仏を行いました。また、村人たちも仕事を行わず、ひたすら念仏を唱える日々を続け、喜左衛門さんは大山石尊や三峰山、大嶽山に垢離をささげ、村の人々の無事を祈ったそうです。8月24日には、村では「年替」として、家々に松を飾り、正月が来たかのように振る舞いましたが、病はおさまらず、今度は病を狐のせいであるとして、油揚げと赤飯を森に供えました。9月に入り、流行はようやく収束しはじめたそうです。
この逸話は現在の山梨市である市川村の名主、喜左衛門さんが1858年8月初頭に書き残した「暴瀉病流行日記(ぼうしゃびょうりゅうこうにっき)」の中で記されているそうです。
原文:
如図なる烏、去年十二月、加賀国白山ニあらわれ出て、申て云、今午年八・九月の比、世の人九分通死ル難有、依テ我等か姿ヲ朝夕共ニ仰、信心者ハかならず其難の(が)るべしと云々
是熊野七社大権現御神武の烏ニ候旨申伝、今年八・九月至テ人多死ル事、神辺不思議之御つけ成
現代語訳:
図のような烏が、去年の12月に加賀国(現在の石川県)に現れて言うことには、「来年の8月・9月のころ、世の中の人が9割方死ぬという難が起こる。それについて、我らの姿を朝夕に仰ぎ、信心するものは必ずその難を逃れることができるであろう」
これは熊野七社大権現のすぐれた武徳をあらわす烏であると言われている。今年の8月・9月に至り、多くの人が死んだ。まさしく神の力、不思議なお告げである
不思議な鳥は、熊野七社大権現のすぐれた武徳をあらわす烏(https://blog.goo.ne.jp/full-count/e/322e149513063627755b8357443ee285)といわれているとの記述もありますが、これ以外に、この不思議な鳥についての情報は日記には書かれていないそうで、山梨県立博物館でもこれ以上のことはわからないそうです。また、「加賀国白山」と書かれていますが、恐らくこれは当時の人々が、不思議なことが起きそうな霊地としてその名を借りたもので、実際に白山にこうした霊獣が現れたともいわれていません。ちなみに、「ヨゲンノトリ」という名前は、山梨県立博物館で付けたものだそうです。
現代でも、アマビエやヨゲンノトリのほかにも、多くの妖怪?神様?が登場していますが、そのご利益は、一部の人間妖怪の力には太刀打ちできていないようですが、コレラが猛威を振るっていた当時、病魔退散を祈る祈祷や祭礼を盛んに行っていたときに現れたヨゲンノトリは、人々に希望を与えたと思います。