「アツはナツい(暑は夏い)」
これは「しゃべくり漫才」を作り上げた伝説の漫才師、横山エンタツ(本名;石田正見)さんと花菱アチャコ(本名;藤木徳郎)さんの漫才ネタが元祖と言うのが定説。
エンタツ・アチャコは1930年に結成、大阪・玉造の三光館でデビュー。それまでの音曲入りの「万才」に対し、音曲を苦手としていたため、テンポのある話術での、いわゆる「しゃべくり漫才」を編み出した。しかし、しゃべくり一本の漫才はなかなか受け入れられず、「唄を歌え」「ひっこめ」と野次られ舞台で立往生という場面もあったそう。
しかし、次第に新しい漫才芸を確立し、1933年の「早慶戦」の漫才ネタのヒットで人気漫才のトップに立ち、これを機に所属の吉本興業が「万才」を「漫才」と書き換えたと言われています。
また、片仮名の芸名や洋服姿で舞台に上がった元祖でもあります。
1934年にアチャコさんの病気入院によりコンビは解消。ただし、そのあと映画でコンビ出演、ラジオ・ドラマなどでそれぞれ活躍しました。
さて、「アツはナツい(暑は夏い)」というのは、「ナツはアツい(夏は暑い)」の言葉の「語音転換(ごおんてんかん)」、または「頭音転換(とうおんてんかん)」というもの。
おもしろさを狙って、句の中のいくつかの音素、特定の音節を置換して新しい句を作る言葉遊びの一種。
たとえば、「鉄筋コンクリート」を「鉄コン筋クリート」や「マイケル・ジャクソン」を「ジャイケル・マクソン」というようなもの。「銀座で寿司」を「ざぎんでしーすー」というのも一種だと思います。
エンタツ・アチャコのお二人も、まさかこんな「アツはナツい(暑は夏い)」世の中になることなんて想像もしていなかったでしょう。
本日も、拙文最後までお読みいただきありがとうございます。
今日という日がみなさまにとって、よい一日になりますように。
また、明日、ここで、お会いしましょう。それではごめんください。
これは「しゃべくり漫才」を作り上げた伝説の漫才師、横山エンタツ(本名;石田正見)さんと花菱アチャコ(本名;藤木徳郎)さんの漫才ネタが元祖と言うのが定説。
エンタツ・アチャコは1930年に結成、大阪・玉造の三光館でデビュー。それまでの音曲入りの「万才」に対し、音曲を苦手としていたため、テンポのある話術での、いわゆる「しゃべくり漫才」を編み出した。しかし、しゃべくり一本の漫才はなかなか受け入れられず、「唄を歌え」「ひっこめ」と野次られ舞台で立往生という場面もあったそう。
しかし、次第に新しい漫才芸を確立し、1933年の「早慶戦」の漫才ネタのヒットで人気漫才のトップに立ち、これを機に所属の吉本興業が「万才」を「漫才」と書き換えたと言われています。
また、片仮名の芸名や洋服姿で舞台に上がった元祖でもあります。
1934年にアチャコさんの病気入院によりコンビは解消。ただし、そのあと映画でコンビ出演、ラジオ・ドラマなどでそれぞれ活躍しました。
さて、「アツはナツい(暑は夏い)」というのは、「ナツはアツい(夏は暑い)」の言葉の「語音転換(ごおんてんかん)」、または「頭音転換(とうおんてんかん)」というもの。
おもしろさを狙って、句の中のいくつかの音素、特定の音節を置換して新しい句を作る言葉遊びの一種。
たとえば、「鉄筋コンクリート」を「鉄コン筋クリート」や「マイケル・ジャクソン」を「ジャイケル・マクソン」というようなもの。「銀座で寿司」を「ざぎんでしーすー」というのも一種だと思います。
エンタツ・アチャコのお二人も、まさかこんな「アツはナツい(暑は夏い)」世の中になることなんて想像もしていなかったでしょう。
本日も、拙文最後までお読みいただきありがとうございます。
今日という日がみなさまにとって、よい一日になりますように。
また、明日、ここで、お会いしましょう。それではごめんください。