野球小僧

人生は、よくマラソンに例えられるが、私はむしろ人生は駅伝であると思う / 君原健二

1960年代から1970年代前半の戦後日本の男子マラソン選手で、マラソンニッポンの一時代を築いた君原健二さん。

オリンピックは3大会に出場し、東京大会(1964年)8位、メキシコ大会(1968年)で銀メダル、ミュンヘン大会(1972年)5位。ほかにも、ボストンマラソン優勝など選手として国内外の35レースに出場、優勝は13回という偉大な記録を残しています。

人生は、よくマラソンに例えられるが、私はむしろ人生は駅伝であると思う
前を走った者から、たすきを受け継ぎ、後に走る者につなぐ・・・
途中で走ることをやめるわけにはいかないのが人生

本当にそのとおりだと思います。

駅伝は走っているときは一人ですが、実際はチームで走る競技です。

人も一人で生きているように思えることもありますが、好むと好まざると関係なく、実際は社会というチームのなかにいます。

ただ、人生を走るも走らないも個人の自由。ですが、自分の次の世代へとたすきをつないでいかなければならない。

なぜならば自分がいま持っているたすきは誰かから受け継いだものであり、それを渡すのはチームの一員としての役目でもあるからだと思いますから。

マラソンにしても、駅伝にしてもそれぞれが乗り越えようとしているのは記録やライバルであると思いますが、でも、ある意味、自分自身そのものだと思えます。

走る走らないのは個人の自由。

でも、たすきを持った人生の区間は必死に生きる義務があると私は思います。

ただ、人生は競技ではありません。自分のペースで、自分が渡したいと思う方へたすきを渡していけばいいと思うのです。

歩いたっていいですし、立ち止まってもいい。何なら寄り道をしながらでもいいのですよね。

本日も、拙文最後までお読みいただきありがとうございます。

皆さまにとって、今日という日が昨日よりも特別ないい日でありますようにお祈りいたしております。

また、明日、ここで、お会いしましょう。それではごめんください。

コメント一覧

まっくろくろすけ
eco坊主さん、こんばんは。

コメントありがとうございます。

君原健二さん、まだまだお元気そうで、なによりです。

私は走ると言ってもジョギング程度でして、トレーニングルームでの場合、9.5km/hで60分が最長くらいです。もう、「太陽にほえろ!」のジーパン刑事的には走れません・・・。

ただ、陽気的には走るにはちょうどいい季節ですね(こちらの朝晩はすでに寒いですが)。

できれば今週の最後は「runaway」にだけはならないようにしないと・・・。
eco坊主
おはようございます。

君原健二さんは先日我が県に来訪されてました。
「森下広一杯マラソン大会」に参加されていましたよー
https://www3.nhk.or.jp/lnews/tottori/20231009/4040016268.html

実は私、第一回鳥取砂丘マラソンで君原健二さんと一緒に走ったんです。
とは言っても私は独身寮の仲間と”賑やかしの参加”でしたけどね😅

今でも走るのは嫌いです。出来たら走りたくない!!!
もう孫にも勝てませんし・・・
私は人生のrunnerではなくstrollerですから~

今週はRUNシリーズですかね!?
♪なるべくなら なるべくなら
 嘘はない方がいい
 嘘は言わない そう心に決めて
 嘘をつき続けて 俺生きている

フライングしちゃいましたか?
今日もありがとうございました。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

最新の画像もっと見る

最近の「名言・迷言」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事