長野県松本市にある相澤病院に勤務しています。この病院は「神様のカルテ」に登場する病院のモデルです。
中学生の時から注目されており、中学2年(茅野北部中)で500mの中学記録を樹立。全日本ジュニア(スプリント部門)で高校生の吉井小百合選手を破り、史上初の中学生王者。
高校時代(伊那西高)はインターハイで500mと1000mの2冠、全日本ジュニアでも優勝。
信州大学教育学部へ進学後、1年時に第25回日本学生氷上競技選手権大会500mと1000mの2冠。2006年10月には全日本スピードスケート距離別選手権大会1000m優勝。2008年10月24日、全日本スピードスケート距離別選手権大会1500m優勝。
大学卒後、相澤病院にスポーツ障害予防治療センターのスタッフとして採用。2009年第16回全日本スピードスケート距離別選手権大会では500m、1000m、1500mの3冠。
2010年カナダ・バンクーバーオリンピックで1000mと1500mで5位入賞。女子団体パシュートでは、日本女子スピードスケート界史上初となる銀メダルを獲得。
2009年の3冠制覇時には「これまでは授業や卒論で休めなかった時間を、単純にお昼寝できるようになったから」とコメントしています。
病院スタッフとして活動を続ける中、こんなことを言っていました。
「ご主人をガンで亡くされたおばあちゃんが、奈緒ちゃんが4年後に金メダルを取るまで生きるって言ってくれたので、それが凄く嬉しかったですね」
「やっぱり、自分ひとりが表舞台に立って輝けばいいというわけではなくて、たくさんの人と一緒に輝ける瞬間に出会えたらいいなと思っています」
「自分のスケートに対する想いとか姿勢はずっと変わらないので、そういうところは志高くやっているんですけど、やっぱり周りが小平奈緒という存在に注目してくれていて、応援してくれる人が増えたので、そういう人たちの想いに応えたい」
「その人たちの心を動かしたり、人生を変えられるような役割を果たせたらいいなと思っています」
自分のためにやるのは当たり前のこと。
誰かのためにやること。
それが、プラスとなる力の源になっているのでしょうね。