2024年オリンピックが開催される「パリ市(パリし、仏: Ville de Paris)、通称パリ(仏: Paris、巴里)」。フランス最大の都市であり、首都。英国ロンドンと共に欧州を代表する世界都市。
現在のような街並みになったのは19世紀ころで、広い大通りが縦横に走り、街中にはセーヌ川が流れています。エッフェル塔や12世紀に建築されたゴシック様式のノートルダム大聖堂のような象徴的な建物だけでなく、カフェ文化やサントノーレ通り沿いのデザイナー ブティックでも有名です。
面積:約105.4km2
人口:約215万人
等時帯:UTC+1(CET)
• 夏時間:UTC+2(CEST)
また、世界有数の観光地でもあり、世界三大美術館の一つでもあるルーヴル美術館をはじめ、たくさんの観光スポットがあります。
ルーヴル美術館:美術や芸術にあまり興味がない私でも名前は知っています。「エルミタージュ美術館(ロシア)」「メトロポリタン美術館(米国)」と並び、世界三大美術館に数えられている。有名な「モナ・リザ」「サモトラケのニケ」「民衆を導く自由の女神」など所蔵品数は約38万点以上。
凱旋門:名曲「オー・シャンゼリゼ」にもその名が使われるパリのメインストリート・シャンゼリゼ通りの西端、シャルル・ド・ゴール広場ある。正式名は「エトワール凱旋門」ですが、単に凱旋門と言えば、この建物を指すほどの圧倒的な認知度を誇るパリのシンボル。
モンマルトルの丘:パリで一番高い場所にあるモンマルトルの丘。パリの街を一望できる絶景スポット。丘の上に建つサクレクール寺院は、真っ白く気品があり、パリ市内から見えるランドマーク的存在
オペラ座(オペラ・ガルニエ):「オペラ座の怪人」の物語でも有名な「パリ・オペラ座」。パリのオペラ座は9区のガルニエ、12区のバスティーユの2つありますが、歴史が古くパリのシンボル的な存在でもあるのは9区のガルニエ宮。必見なのは「夢の花束」と言われる有名なシャガールの天井画と輝くクリスタルのシャンデリア
ノートルダム大聖堂:ゴシック建築を代表する建物であり、フランス、パリのシテ島にあるローマ・カトリック教会の大聖堂。「パリのセーヌ河岸」という名称で、周辺の文化遺産とともに1991年にユネスコの世界遺産に登録
ムーラン・ルージュ: 1889年に誕生したフランスのパリ市内、モンマルトルにあるキャバレー。フランス語で「赤い風車」という意味。建屋には屋根の上に風車を作り全体を赤で統一
エリゼ宮:パリ市内にある宮殿であり、現在のフランス共和国大統領官邸
ヴェルサイユ宮殿:パリの南西約22kmに位置するイヴリーヌ県ヴェルサイユにある。1682年、フランス王ルイ14世が建てたフランスの宮殿(建設当初は離宮)。ヴェルサイユ城とも言う。バロック建築の代表作で、豪華な建物と広大な美しい庭園で有名。2024年パリオリンピックでは馬術と近代五種の会場として使用
そして、パリと言えば「エッフェル塔」。
世界で一番有名な塔ともいえるエッフェル塔。その姿を見ただけでパリに来たことを実感できる象徴的存在と言われています。年中無休で営業しており、美術館や公共の交通機関などがストライキで休業になってもたいてい営業している、観光の強い味方。
そして、エッフェル塔と言えば、「エッフェル姉さん」。
現在のような街並みになったのは19世紀ころで、広い大通りが縦横に走り、街中にはセーヌ川が流れています。エッフェル塔や12世紀に建築されたゴシック様式のノートルダム大聖堂のような象徴的な建物だけでなく、カフェ文化やサントノーレ通り沿いのデザイナー ブティックでも有名です。
面積:約105.4km2
人口:約215万人
等時帯:UTC+1(CET)
• 夏時間:UTC+2(CEST)
また、世界有数の観光地でもあり、世界三大美術館の一つでもあるルーヴル美術館をはじめ、たくさんの観光スポットがあります。
ルーヴル美術館:美術や芸術にあまり興味がない私でも名前は知っています。「エルミタージュ美術館(ロシア)」「メトロポリタン美術館(米国)」と並び、世界三大美術館に数えられている。有名な「モナ・リザ」「サモトラケのニケ」「民衆を導く自由の女神」など所蔵品数は約38万点以上。
凱旋門:名曲「オー・シャンゼリゼ」にもその名が使われるパリのメインストリート・シャンゼリゼ通りの西端、シャルル・ド・ゴール広場ある。正式名は「エトワール凱旋門」ですが、単に凱旋門と言えば、この建物を指すほどの圧倒的な認知度を誇るパリのシンボル。
モンマルトルの丘:パリで一番高い場所にあるモンマルトルの丘。パリの街を一望できる絶景スポット。丘の上に建つサクレクール寺院は、真っ白く気品があり、パリ市内から見えるランドマーク的存在
オペラ座(オペラ・ガルニエ):「オペラ座の怪人」の物語でも有名な「パリ・オペラ座」。パリのオペラ座は9区のガルニエ、12区のバスティーユの2つありますが、歴史が古くパリのシンボル的な存在でもあるのは9区のガルニエ宮。必見なのは「夢の花束」と言われる有名なシャガールの天井画と輝くクリスタルのシャンデリア
ノートルダム大聖堂:ゴシック建築を代表する建物であり、フランス、パリのシテ島にあるローマ・カトリック教会の大聖堂。「パリのセーヌ河岸」という名称で、周辺の文化遺産とともに1991年にユネスコの世界遺産に登録
ムーラン・ルージュ: 1889年に誕生したフランスのパリ市内、モンマルトルにあるキャバレー。フランス語で「赤い風車」という意味。建屋には屋根の上に風車を作り全体を赤で統一
エリゼ宮:パリ市内にある宮殿であり、現在のフランス共和国大統領官邸
ヴェルサイユ宮殿:パリの南西約22kmに位置するイヴリーヌ県ヴェルサイユにある。1682年、フランス王ルイ14世が建てたフランスの宮殿(建設当初は離宮)。ヴェルサイユ城とも言う。バロック建築の代表作で、豪華な建物と広大な美しい庭園で有名。2024年パリオリンピックでは馬術と近代五種の会場として使用
そして、パリと言えば「エッフェル塔」。
世界で一番有名な塔ともいえるエッフェル塔。その姿を見ただけでパリに来たことを実感できる象徴的存在と言われています。年中無休で営業しており、美術館や公共の交通機関などがストライキで休業になってもたいてい営業している、観光の強い味方。
そして、エッフェル塔と言えば、「エッフェル姉さん」。
ですが、まあ、このことではありません。
大阪城とならぶ「なにわのシンボル・通天閣(つうてんかく)」。
(エッフェル塔に行ったことがないので、通天閣(2代目)の写真です。2010年撮影)
通天閣が建てられたのは、今から約100年以上まえの1912年。第5回内国勧業博覧会の跡地に造られた「新世界ルナパーク」という遊園地のシンボルとして建てられました。
1903年、第5回内国勧業博覧会が大阪で開催され、「大大阪」の飛躍的な発展が始まりました。大阪市の人口は100万人を超え、「東洋のマンチェスター(なぜか英国ですが)」と称えられた。博覧会の跡地の東半分は、天王寺公園となり、西半分の約4万坪には「新世界ルナパーク(月の園)」を建設。
新世界ルナパークには、米国ニューヨークのコニーアイランドを模し、「5銭払えば夢の国」という売り文句で、「美人探検館」「エジプト館」「不思議館」「観戦鉄道館」「氷山館」「モンキーホール」「音楽堂」などが並んだ。電気仕掛けの人形が各所に立ち、築山に白いビリケン堂が建った。
この新世界ルナパークと、4人乗りロープウェーで結ばれたのが、パリの凱旋門の上にエッフェル塔を載せるという、いかにも(?)大阪らしいユニークな鉄塔が通天閣。
そして、1912年に完成。エレベーターで展望台に上ると、六甲、摩耶、生駒、金剛の山々や、紀淡海峡まで見渡せたそうです。
通天閣という名称は、新世界建設を推進した土居通夫大阪商業会議所会頭の「通」を取り、「天に通じる高い建物」という意味を込めて付けられたというのが定説でしたが、後年、明治期の著名な儒学者・藤沢南岳さんに依頼して命名したことが判明しています。
そもそも、どうして凱旋門とエッフェル塔だったのかと言うと、第5回内国勧業博覧会誘致において、当時、パリで開催されていたパリ万国博の仕組みを調査したときの流れのようで、土居通夫さんが跡地の活用アイディアにインパクトがないとして次々と没にし、最終的に周囲の猛反対を押し切って、パリの凱旋門にエッフェル塔の上半分を乗せたような通天閣を提案したと言われています。
現在の通天閣は2代目であり、初代通天閣は1943年1月に火災で大破したあと、戦時下での鉄材供出のために解体・撤去。
そして、1954年末、新世界の氷屋、写真屋、質屋、時計屋、うなぎ屋、雀荘、雑貨屋のオヤジが集まり、通天閣再建委員会を設立。大阪の象徴だった通天閣を自分たちの手で再建しようと考え、1955年3月に大阪市から建築許可が下り、建設の手付け金3500万円を確保すべく商店街で寄付集め、7月には手付け金を支払い、翌8月に起工。
建設デザインは名古屋テレビ塔を設計した、当時;早稲田大・内藤多仲教授でした(のちに東京タワーも設計)。
それから1年2ヶ月後の1956年10月28日に2代目通天閣は開業。初代より高い103m。
ちなみに、初代の凱旋門+エッフェル塔の通天閣の高さは64m。当時としては東洋一のタワーですが、本家のエッフェル塔が312mですから、約5分の1。
3代目の通天閣は小さい版「あべのハルカス」の上に、小さい版「スカイツリー」を乗せるというのはどうか。でも、大阪のプライドがあるでしょうから、実現は無理でしょうな。
2025年大阪万国博覧会が開催される「大阪市(おおさかし:OSAKA)、通称大阪」。大阪府の府庁所在地および近畿地方で最多の人口を有する市であり、西日本および近畿地方の首位都市であり、経済、文化、交通の中心都市。
大阪市
面積:約225.34km2
人口:約279万人
等時帯:UTC+9(JST)
また、世界有数のお笑い発信でもあり、日本三大お笑い寄席の一つでもあるなんばグランド花月をはじめ、たくさんのお笑いスポットがあります。
本日も、拙文最後までお読みいただきありがとうございます。
今日という日がみなさまにとって、よい一日になりますように。
また、明日、ここで、お会いしましょう。それではごめんください。
大阪城とならぶ「なにわのシンボル・通天閣(つうてんかく)」。
(エッフェル塔に行ったことがないので、通天閣(2代目)の写真です。2010年撮影)
通天閣が建てられたのは、今から約100年以上まえの1912年。第5回内国勧業博覧会の跡地に造られた「新世界ルナパーク」という遊園地のシンボルとして建てられました。
1903年、第5回内国勧業博覧会が大阪で開催され、「大大阪」の飛躍的な発展が始まりました。大阪市の人口は100万人を超え、「東洋のマンチェスター(なぜか英国ですが)」と称えられた。博覧会の跡地の東半分は、天王寺公園となり、西半分の約4万坪には「新世界ルナパーク(月の園)」を建設。
新世界ルナパークには、米国ニューヨークのコニーアイランドを模し、「5銭払えば夢の国」という売り文句で、「美人探検館」「エジプト館」「不思議館」「観戦鉄道館」「氷山館」「モンキーホール」「音楽堂」などが並んだ。電気仕掛けの人形が各所に立ち、築山に白いビリケン堂が建った。
この新世界ルナパークと、4人乗りロープウェーで結ばれたのが、パリの凱旋門の上にエッフェル塔を載せるという、いかにも(?)大阪らしいユニークな鉄塔が通天閣。
そして、1912年に完成。エレベーターで展望台に上ると、六甲、摩耶、生駒、金剛の山々や、紀淡海峡まで見渡せたそうです。
通天閣という名称は、新世界建設を推進した土居通夫大阪商業会議所会頭の「通」を取り、「天に通じる高い建物」という意味を込めて付けられたというのが定説でしたが、後年、明治期の著名な儒学者・藤沢南岳さんに依頼して命名したことが判明しています。
そもそも、どうして凱旋門とエッフェル塔だったのかと言うと、第5回内国勧業博覧会誘致において、当時、パリで開催されていたパリ万国博の仕組みを調査したときの流れのようで、土居通夫さんが跡地の活用アイディアにインパクトがないとして次々と没にし、最終的に周囲の猛反対を押し切って、パリの凱旋門にエッフェル塔の上半分を乗せたような通天閣を提案したと言われています。
現在の通天閣は2代目であり、初代通天閣は1943年1月に火災で大破したあと、戦時下での鉄材供出のために解体・撤去。
そして、1954年末、新世界の氷屋、写真屋、質屋、時計屋、うなぎ屋、雀荘、雑貨屋のオヤジが集まり、通天閣再建委員会を設立。大阪の象徴だった通天閣を自分たちの手で再建しようと考え、1955年3月に大阪市から建築許可が下り、建設の手付け金3500万円を確保すべく商店街で寄付集め、7月には手付け金を支払い、翌8月に起工。
建設デザインは名古屋テレビ塔を設計した、当時;早稲田大・内藤多仲教授でした(のちに東京タワーも設計)。
それから1年2ヶ月後の1956年10月28日に2代目通天閣は開業。初代より高い103m。
ちなみに、初代の凱旋門+エッフェル塔の通天閣の高さは64m。当時としては東洋一のタワーですが、本家のエッフェル塔が312mですから、約5分の1。
3代目の通天閣は小さい版「あべのハルカス」の上に、小さい版「スカイツリー」を乗せるというのはどうか。でも、大阪のプライドがあるでしょうから、実現は無理でしょうな。
2025年大阪万国博覧会が開催される「大阪市(おおさかし:OSAKA)、通称大阪」。大阪府の府庁所在地および近畿地方で最多の人口を有する市であり、西日本および近畿地方の首位都市であり、経済、文化、交通の中心都市。
大阪市
面積:約225.34km2
人口:約279万人
等時帯:UTC+9(JST)
また、世界有数のお笑い発信でもあり、日本三大お笑い寄席の一つでもあるなんばグランド花月をはじめ、たくさんのお笑いスポットがあります。
本日も、拙文最後までお読みいただきありがとうございます。
今日という日がみなさまにとって、よい一日になりますように。
また、明日、ここで、お会いしましょう。それではごめんください。