「宣誓 今から92年前、第1回全国選抜中等学校野球大会が開催されました。
その翌年に創部されたぼくの野球部は、来年の春、高校の統合に伴い、新しく生まれ変わります。
当たり前にあった景色がなくなる。
その重みをぼくたちは忘れたくありません。
当たり前にある日常のありがたさを胸に、ぼくたちはグラウンドに立ちます。
そして、支えて下さる方々を笑顔にできるよう、気迫を前面に出し、全身全霊でプレーすることを誓います」
第88回選抜高校野球大会が昨日開幕しました。その開幕式の選手宣誓に香川・小豆島高校の樋本尚也主将は「しっかり自分の言いたいことを言えた」と言っていました。
現在の野球部員は17人。部員全員が同島出身。杉吉勇輝監督のもと、練習メニューから選手自身で考える主体性を身に付け、昨秋の明治神宮王者・高松商高に秋の公式戦で唯一黒星をつけた学校になりました。
17人と少ない部員ですので練習試合などは人のやりくりに苦労するそうですが、一番の苦労は遠征時には必ずフェリー移動になること。しかし、移動時間はミーティングに充て、そういう工夫が好成績の源にもなっているそうです。
その小豆島は大石先生と12人の子どもたちの交流を描いた壺井栄さんの名作「二十四の瞳」とオリーブで有名な島です。そして、もう一つが野球の応援で定番曲になっているコンバットマーチです。
実はこのコンバットマーチを作曲した早稲田大招聘研究員の三木佑二郎さんの出身地が香川県小豆島なのだそうです。この曲は1965年に早稲田大学応援部の吹奏楽団に所属していた時に作曲されたもので、一般的な野球の応援曲と思っている人も多いかも知れません。
当時の応援スタイルは、ブラスバンドの伴奏で校歌や応援歌を歌い、拍手と声援で盛り上げる手法が主体でした。応援歌は数多くあり、テンポは比較的ゆっくりとした行進曲調のものがほとんどで、コンバットマーチは1965年の早慶戦で華々しくデビューし、プロ野球や高校野球の応援に広まり、野球応援の歴史を塗り替えた一曲と言われています。
三木さんは中高時代は吹奏楽部に所属し、トランペットを担当していて地元では評判の音楽青年でした。高校二年時に東京芸大を目指し、受験前に東京で行われた研修に参加した際、人生初の挫折を味わいました。
「参加者がトランペットだけで20人ほどいたんですけど、みんなものすごく上手いんです。吹奏楽コンクールの全国大会に出ているような人たちばかりで、めちゃくちゃ上手い。片や自分は、地元では上手い上手いと言われていたけれど、先生から『チューニング(楽器の音程を合わせること)をします』と言われても、チューニングの意味すら判らない。そんな言葉自体、聞いたこともありませんでした。でもみんな当然のようにチューニングを始めるもので、もう恥ずかしくて恥ずかしくて・・・。楽器も、自分が持って行ったのは『ニッカン』(日本管楽器=ヤマハの前身)ので、他の人のトランペットは『バック』や『セルマー』など、海外の一流メーカーばかり。周りがみな、『この田舎者が』という目で、私を見て笑っていました。1週間の研修でお金も支払い済みでしたが、とても耐え切れず、3日目に小豆島に帰りました」
そして、芸大は諦めましたが、歌も好きだったのでテレビでよく見ていた早稲田大のグリークラブ(男声合唱団)を目指し、受験することを決意します。無事合格し、憧れのグリークラブに入りましたが、先輩と喧嘩して3カ月で辞めたそうです。そして、昔から早慶戦をよく見ていて野球も好きだったので、応援部の吹奏楽団に入ることにしたそうです。
三木さんが入学した1962年の野球部は六大学で春4位、秋5位。翌1963年は春、秋とも5位と低迷していた時期であり、一方の慶應大は、この間に2回優勝しており、応援部も沈滞気味で応援自体もマンネリ化していたそうです。しかし、1964年春に7シーズンぶりに早稲田大が奇跡の逆転優勝し、この勢いに乗って応援に新しい風を吹き込もうと、1965年に作曲した応援歌がコンバットマーチになります。
「それまで、吹奏楽は応援歌の伴奏にすぎなかったので、吹奏楽のメロディーが主役の曲を考えました。メロディーが主役になれば、もっとエネルギーを爆発させるような、大声援を引き出せるのではないかと。作っている最中は、頭の中で天理高校のファンファーレが浮かんでいましたね。アパートで布団をかぶってトランペットを吹きながら、一気に書き上げました」
コンバットマーチは作曲時には「攻撃のファンファーレ」と呼んでいました。しかし、前奏部分が当時放送されていたアメリカの人気ドラマ「コンバット!」のテーマ曲と、偶然にも似ているとのことから、「コンバット」と改名されました。1965年の秋リーグで野球部は見事優勝し、優勝パレードでもこの曲で行進し、行進曲(マーチ)としても使えるということと、応援部が「コンバット」だと曲名を言いにくいということもあり、「コンバットマーチ」という曲名に落ち着きました。今では高校野球の大会で耳にしない日がはないと言ってもいいほどのコンバットマーチは、日本の野球応援の礎になっています。
その三木さんの出身校は2017年4月に小豆島高と合併する土庄(とのしょう)高。
今回、選抜に出場する小豆島高の友情応援として土庄高吹奏楽部が参加することを知り、3月15日に合同練習の指揮を兼ねて応援曲「小豆島コンバット トゥギャザー」プレゼントしました。
「練習時間が少なかったのでどうなることかと思いましたが、数回の合奏でピタッと決まりましたね。合併する両校や、島全体がひとつになって応援する意味を込め、曲名に『トゥギャザー』とつけました。試合当日は、この曲がどのように甲子園球場に響き渡るか、外野席あたりで聴いてみようと思っています」
小豆島高野球部員は17人ですが、小豆島町と土庄町の約30000人、60000の瞳が見守り、応援しています。
阪神甲子園球場の銀傘に鳴り響け「小豆島コンバット トゥギャザー」!!