「秋桜(コスモス)」は、1977年10月1日にリリースされた山口百恵さんの19枚目の楽曲です。作詞・作曲したのは、さだまさしさんですが、さだまさしさん自身のセルフカバーでのシングル楽曲はリリースされておらず、アルバム「私花集(アンソロジー)」(1978年3月25日)に収録されたのが最初です。
タイトルや歌詞に「秋」や秋を連想させるキーワードを持つ楽曲は多いものの、私くらいの年代といえば、やはり1位は一風堂の「すみれ September Love(すみれ セプテンバー ラヴ)」ではなく、山口百恵さんの「秋桜(コスモス)」です。先日、NHKのラジオ深夜便「”秋”のうたアラカルト」でも流れていましたが、30年以上前にリリースされた楽曲が今でもこうして取り上げられるのは、山口百恵さんの時代に直接聴くことが出来て幸せなことだと思います。
ちなみに、2006年に日本の文化庁と日本PTA全国協議会が、親子で長く歌い継いでほしい童謡・唱歌や歌謡曲といった抒情歌や愛唱歌の歌101曲を選定した、「日本の歌百選」に選ばれているとおり、この歌詞、この曲、ともに語り継がれ、歌いつがれる、紛れもない名曲だと思います。
♬薄紅の秋桜が秋の日の
何気ないひだまりで揺れている
「ありがとう」という言葉の意味は、誰かや何かに感謝をしたり、お礼をする時に使う言葉です。
日本語では、このありがとうは「有難う」が由来となっていて、「有る」ことが「難しい」と書きます。つまり、「そんなに簡単にあることではない」という意味になります。また、元々は、神さまや仏さまに対してのみ使われていた言葉で、語源は、お釈迦さまの「盲亀浮木(もうきふぼく)のたとえ」という話の中で、お釈迦さまが弟子の阿難さんにしたたとえ話が「ありがとう」という言葉の由来と伝えられています。
目の見えない亀が広い海にいました。その目の見えない亀は100年に1回、海面に顔を出します。その広い海には真ん中には小さな穴が空いた1本の丸太が浮いています。お釈迦さまが、「阿難よ、100年に1度浮かび上がるこの亀が、波や風に揺られて東へ西へ南へ北へと漂う丸太の穴に、ぴったりと頭を入れることができると思うか?」と尋ねると、それはありえないと阿難さんが答えます。すると、お釈迦さまは、「では、絶対にないといい切れるか?」とお釈迦さまが再度尋ねます。「何億年、何兆年、幾億兆年の間には、うまくいくことがあるかもしれません。でも、ないといってもいいくらい、難しいことです」と阿難さんが答えると、「阿難よ。私たちが人間に生まれることは、この亀が、浮木の穴に頭を入れることがあるよりも、難しいことなのだ、有り難いことなのだよ」と話しました。
日本では室町時代のころから人に対しても使われる言葉になりました。そもそも「ありがとう」が神に対する感謝を込めた言葉であったことから、日本では相手に対しての感謝の意味を持つ「ありがとう」もありますが、それと同時に神に対しても「有難う」という言葉で感謝をするという2つの意味を持っています。
私たちは日々生きている中でいろいろなことがあります。もちろん、すべてのことに対して、「ありがとう」という気持ちにはなれません。でも、その「ありがたくない」と思っていることであっても、何か自分の力になるようなことがあるかもしれません。人生の中の嫌なことも、自分が成長するために起こった、という反対の考え方をすることで、前向きな気持ちが持てるかもしれません。
また、日々のなかで、病気やけがをしていない、学校に行ける、仕事がある、ごはんを食べる、TVを観る、インターネットを観るなど、日常の中での出来事が、いつの間にか「当たり前のこと」と思ってしまう場合があります。でも、世の中には、このことができないこともあります。そして、これらのことすべては当たり前とは反対のありがとうのことでも感謝するべきことなのです。
毎日の暮らしの中で、有ることが難しいという意味の対義語である「当たり前」、つまり「あることが易しいこと」などは、一つもないでしょう。また、自分一人でここまで生きてこられたのでもないでしょう。そんな自分を育ててくれた両親や学ぶことを教えてくれた学校の先生、支えてくれた人たちなど、感謝するべき人はたくさんいると思います。
♬ありがとうの言葉を かみしめながら
生きてみます私なりに
今日も、私のブログにお越しいただいてありがとうございます。
今日がみなさんにとって、穏やかで優しい一日になりますように。そして、今日みなさんが、ふと笑顔になる瞬間、笑顔で過ごせるときがありますように。
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