1961年4月12日。
今では地球が青く美しい星だということを誰もが知っていると思います。初めてそれを教えてくれたのが、人類が初めて宇宙へ行った、当時27歳のユーリ・ガガーリンさんです。
当時、ソビエト連邦(ソ連)が打ち上げた「ヴォストーク1号」で地球を108分の飛行で1周した日が1961年4月12日です。
ちなみに、ガガーリンさんの有人宇宙飛行から20年後の1981年4月12日には、米国のスペースシャトル「コロンビア」が最初のフライトを行いました。また、ガガーリンさんより6年前の1955年の4月12日は日本初のロケット実験(長さ約23センチの小さなペンシルロケット)が行われた日でもあります。
1959年、ソ連邦の宇宙開発が本格的に始まったことにより、空軍パイロットでだったガガーリンさんは3000名近い候補生から選ばれた宇宙飛行士候補生としてモスクワ近郊の基地へ配属されます。そして、ほかの候補生たちとともに、宇宙飛行に必要な身体的・精神的耐久性などの厳しい訓練を受けました。
1961年4月の打ち上げに向けて選考は進み、1960年末には候補生6人にまで絞られました。1961年3月初めには、候補生はガガーリンさんともう1人のどちらかに絞られ、4月8日に最終選考が行われ、4月9日にガガーリンさんが正飛行士に選出されたことが伝えられました。宇宙船が発射されるわずか3日前のことです。
当時、まだ宇宙に人類が行った際にどのような影響があるのか、たぶんだれもわからない状況だったと思いますので、人類初という名誉なこととともに、命懸けのことだったと思います。
1961年4月12日、ガガーリンさんは「ヴォストーク1号」で世界初の有人宇宙飛行に成功します。飛行中にガガーリンさんが中尉から少佐に昇進(二階級特進)したというニュースを聞きましたが、この発表をガガーリンさんに伝えた理由は、当時の技術ではガガーリンさんが生きて帰還できる可能性は低いと考えられていたといわれています。
ガガーリンさんを乗せた宇宙船は地球周回軌道に入り、大気圏外を108分間で1周したのち大気圏再突入を行ない、地球上に戻ってきました。
帰還後、人類初の宇宙飛行して、そしてソ連の科学技術を世界に知らしめる広告塔として、ガガーリンさんは世界各地を飛び回り、世界はガガーリンさんを熱狂的に受け入れました。1962年5月には日本に来日し、東京など各地を回っています。
一方で、ガガーリンさんは「あの宇宙にもう一度」と思うようになりましたが、ガガーリンさんを取り巻く環境は大きく変わり、1967年には宇宙飛行ミッションから外され、自身が飛ぶ可能性はなくなってしまいました。
そして、1968年3月27日に戦闘機の訓練飛行中の墜落事故により、34歳の若さでこの世を去りました。
ガガーリンさんが地球帰還後に語ったという、「地球は青かった」というコメントは実はガガーリンさんが実際にコメントしたものではなかったそうです。1961年4月13日付けのソ連の日刊紙に掲載された記事では、「空はとても暗かった。一方、地球は青みがかっていた」というものです。この「地球は青かった」は、ガガーリンのコメント記事を日本の各新聞社が伝えるときに使われたものとのことでした。
それでも、「地球は青かった」という言葉は宇宙から見た地球をあらわす言葉としてはとても印象的だと思います。
また、ガガーリンさんの言葉としては、「ここに神は見当たらない」というものがあります。神さまが存在し、宇宙にいないのならば、地球上にいるはず。ならば、神さまが戦争の代わりに平和へと導くよう、正してくれますように祈りたいです。
本日も私のブログを読んでいただき、ありがとうございます。
今日はどのような一日になるのでしょうか。または、どのような一日を過ごされたのでしょうか。
その一日でほんの少しでも楽しいことがあれば、それを記憶にとどめるように努力しませんか。そして、それをあとで想いだすと、その日が明るくなる、それが元気の源になってくれるでしょう。
それを見つけるために、楽しいこと探しをしてみてください。昨日よりも、ほんの少しでも、いい一日でありますようにと、お祈りいたしております。
また、明日、ここで、お会いしましょう。