囲碁漂流の記

週末にリアル対局を愉しむアマ有段者が、さまざまな話題を提供します。初二段・上級向け即効上達法あり、懐古趣味の諸事雑観あり

1手に5時間考えた

2019年12月16日 | ●○●○雑観の森

天才・宇宙流の流儀かなの巻】


■先週末(12月14日)の本拠地碁会では「風邪引きさん」が多く、
O五段格に至っては、声も出せない状態で、やってきました。

仲良しのM七段戦での珍事です。
Oさんは、手のなさそうな所で、
1子を2子にして取られる手を打ち掛けて、
「あっ」と声にならない声を発しました。
盤に打ち付けて指が離れていない石を取り上げようとし、
「ああ~、仕方ない」と悲しそうに指を離します。

「打ち直し=即負け」を断定しているわたしと、
目があったのが不運でした。


■ところが、相手のMさん。長考に沈みます。
5分も経ったころでしょうか。
声の出ないOさんは、じれてきます。
紙にサラサラと書いて、わたしに渡し、ニヤリします。

「(自分の緩い手は)そんなに考えるような手かね」

結局、何かあると考えたか、読み切ったか、
Mさんは取れる石を取らず、別の堅い手を選びました。
よくよく考えるのが、Mさんの強いところでしょう。


         ◇


■昨日12月15日(日)、駅前例会後の「昼食兼忘年会」。
主宰Tさんから、宿題をいただいていたのですが、
再度リクエストがありました。
「1手の最長考慮時間は何か? ブログで読みたい」と。


■いろいろ調べましたが、はっきりと分かりません。
江戸時代は文献が少ないうえ、時間を云々することはない時代でした。
明治、大正、昭和も同様です。

総消費時間なら、
川端康成「名人」で取り上げられた昭和13年の最後の世襲制名人引退碁でしょうか。
6月26日の東京・芝公園「紅葉館」で始まり、
12月4日の伊東「暖香園」で打ち終わった半年がかりの入念局
14回打ち継いで、観戦記者を務めた川端は
東京日日新聞(現在の毎日新聞)に64回連載しました。
制限時間各40時間で、
黒番・木谷実七段が19時間57分、第21世本因坊秀哉名人が34時間19分

237手完。黒5目勝ち。

一年後の昭和15年1月18日朝、秀哉は熱海「うろこ旅館」で死去。享年67。
空前絶後の最後の勝負碁で力を使い果たし、死期を早めました。


■さて、お待たせしました。本題の「1手にかけた長考記録」。

持ち時間制導入後の最長記録は、武宮正樹九段の5時間7分
1988年の本因坊挑戦手合で、武宮本因坊に大竹英雄九段が挑戦しました。
2勝2敗で迎えた第5局は、伊豆「玉樟園新井」で行われました。
武宮が1日目の午前中から大長考に沈みます。
ようやく打ったのが夕方です。
結局、打ったのは大ナダレ定石の手順の一手。
直後、大竹はノータイムで打ち返しました。
その手は、天才・武宮が一度もヨマなかった手だったのです。
局後、武宮は「僕は定石を知らないもんだから」と笑っていたとか。

実は、第4局で「早碁の神様」と呼ばれる早見え早打ちの大竹が
1手に2時間33分考えていたのです。
武宮の「倍返し」だったのでしょうか。
この番碁は、武宮本因坊の防衛でした。

 


ちなみに時間無制限(持ち時間なし)では、
星野紀九段(大正7~平成3年)の16時間が最長記録とされています。
幕末から昭和まで、専門家の対局では、「時間」は駆け引きの道具であり、体力勝負の一面がありました。
「こんな調子なら、若い棋士はみんな死んでしまう」との声が大きくなり、
持ち時間制が導入された、といわれます。


将棋の時間制導入後の記録は、堀口一史七段の5時間24分。(2005年順位戦B級1組)

 

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。