囲碁漂流の記

週末にリアル対局を愉しむアマ有段者が、さまざまな話題を提供します。初二段・上級向け即効上達法あり、懐古趣味の諸事雑観あり

「待つ」という修羅界

2019年12月17日 | ●○●○雑観の森

あなたはイライラしますか?の巻】


■囲碁は「待つ」ゲームである。

相手が考えている時、黙って待っている。
自分が考えている時、相手を待たせている。

打つ行為自体が、非言語的コミュニケーションであり、
阿吽(あうん)の呼吸、以心伝心、といった交信を味わうものである。
従って、対局時に会話は不要であり、むしろ疎まれる。

人間は、生まれた瞬間から死へのカウントダウンが始まっているのだが、
生きている限りは「有効に時間を使いたい」と思うのが常であろう。
だが現実は、多くの時間を何かを「待つ」ことに使っている。
では「待つ」は一体……無駄な時間なのだろうか。


■愛好者は、自分が打つ時は懸命に考えて碁石を置く。
ところが相手が考えている時は、おしゃべりしたり、よそ見をしていて、
相手が石を置いても気が付かないヒトがいる。
おしゃべりや、よそ見から戻って「ん、どこに置いた?」。
こんな人物は「待てない」ヒトである。


■こういうヒトもいる。
相手がポンポンと早いペースで打ってきて、
つられて打っては、悪手となり、負ける。
わたしも時々、ペースが狂うこともあり、注意している。
ところが、相手の打つペースに対し、
「早すぎる」と文句を言う場面に遭遇した。

これには驚いた。

「下手の考え 休むに似たり」なんて酷い言葉があるが、
相手の長考を嫌うヒトの方が圧倒的に多い。(自身の長考はさておき!)
しかし「考えないからヘタ」なのであって、
それを非難されては「いつまで経ってもヘタのまま」なのだが。

 

         ◇

 

■ハイデガーは大著「存在と時間」で
「不安とは、人間が死ぬ存在だ、というところに根本原因がある」
みたいなことを長々と展開している。(と、思う)

そう、わたしたちは「待つ」ことに不安を感じる存在かもしれない。
では、ゆったりと相手の思考に付き合えるヒトは、達観したヒトか。
小人には、理解の及ばない遠い存在に思えてくるのである。

 

省線のその小さい駅に、
私は毎日、人をお迎えにまいります。
誰とも、わからぬ人を迎えに。
――で始まる太宰治の小品「待つ」を何度読み返したことでしょう。市原悦子が朗読するCDを何度聴いたことでしょう。「恐ろしいほどの傑作」と思うのは、空想的非戦論者だけでしょうか。

https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/2317_13904.html

 

 

 

 

 

 

2019年12月16日投稿「1手に5時間考えた」の関連記事です。


武宮正樹が「5時間7分」の大長考を続けるなか、

大竹英雄は正座したまま、身じろぎもせずに待っていたそうです。

名人引退碁に挑んだ木谷実の門下にあって兄弟弟子ですが、

所作はあくまで正しく、しかし駆け引きは鬼の如し、でありました。

今は昔。お伽噺の様なホントの話であります。

「木谷道場」が、おびただしい数のトップ棋士を輩出したのも、

当然のなりゆきだった、と言えましょう。



最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (hennkyoujinn)
2019-12-17 06:19:15
「待つ」は
介護や子育てにおいても大切なこと
介護者や母親、保育士は
相手(老人或いは幼児)の動作を 待てるか

やってあげることは簡単
相手がやり終えるまで待つ

やってあげてしまっては
できることもできなくなる

待つこと囲碁や将棋だけでなく
日常生活のなかにもあるのですね
返信する
Unknown (fumi-bow1956)
2019-12-17 06:22:15
御意です。アタマで分かっていても、できないものです。
的確なるコメント多謝です。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。