【発信力、発言力とは、どういうものか】
ン十年も むかしの話
わたしが在籍した大学の「写真部」は
芸術系主要サークルで強い〝発信力〟があり
数ある京都の大学の「写真部」のなかでも
一目も 二目も 置かれる存在だった
河原町周辺の画廊を自費で借りて
展覧会を催すメンバーも多く
卒業後にプロになった者もいる
部員は数十人いたと思うが
幽霊会員も少なくなかった
大学のサークルはそうしたものだ
だから
部室の半分を占める暗室をよく使う者
合評会では積極的に新作を発表する者
そして街の展覧会を自費で開催する者
彼らに強い〝発言力〟があった
わたしは入学した頃
囲碁部やスキー同好会を覗いたが
いまひとつ、しっくりいかず
半年以上経ってから
たまたま街の写真展を覗いて
「これだ」と思い、入部した
〝周回遅れの部員〟だったのだ
多くは高校時代からの経験者
わたしは全くの初心者で
同学年N君の一眼レフを借りて
〝よちよち歩き〟でスタートした
のちに部長になったI君、
その補佐役で相棒のN君、
一年先輩の姉御肌のKさん、
この4人が、なぜか
還暦を越えるまで繋がった
年1度ほど京都や大阪の街で
一日をともに過ごすような
ゆるい関係が続いてきたのだ
◇
わたしは還暦を目前に
忘れていた囲碁の世界に
少し足を踏み入れることにし
地域同好会に入れてもらった
そして六十代半ばになって
「若い者が世話人をやれ」とばかり
副会長から会長にさせられてしまった
まったく違う分野と思っていた
「写真」と「囲碁」という芸の道だが
今思うと、案外共通点が多いとおもう
前者は個人プレー
後者は二人で創る作品
という違いがある
だが同好会組織については
そんなに違いはない
写真は、合評会や展覧会に積極的であること
囲碁は、規範を守り碁会に熱心に参加すること
こういう人物が〝会のなかの優等生〟である
前置きが長くなったが
百人碁会がコロナ影響で六十人碁会となり
ほそぼそと小人数の定例会を開いているが
わたしは定例会に熱心に参加している人が
最大限尊重されなければならない思う
棋力がどうの、役員経験がどうの ではない
この1年、2年の会との関わりこそが
これからの1年、いや5年10年の運営に際し
もっとも大切なヒトなのである
「今を生きる」ということだ
もちろん
「来ない」「来ることができない」幽霊会員にも
会費を払っている以上、権利と義務があるが
1年先の何事かを決めようというとき
過去1年に熱心だったヒトの声が
会運営に反映されねばウソだろう
最もよくないのは
定例会にほとんど顔を見せないクセに
評論家の如く上から目線でモノを言うこと
害あって、ひとつの理もなし
そういう人物が
「持ち回り」や「クジ引き」によって
間違って役員になるなら
会がダメになっても
おかしくはない
新年度はあたらめて
碁会場をさらに安全安全な環境とし
碁を熱心に楽しむ人の声に応えたい
そう、思っている
▲碁会のホワイトボードには「大事なお知らせ」が書いてある
「きめ細かい情報公開」は、会運営のキモである
役員会を密室にしては、権力腐敗の温床となること必至だ
会長としてのわたしは「やるべきこと」は断行するが
けっして中露のような密室政治だけはやらない と公約しておく