【何事においても 〝常識〟 つねに疑うべし】
東京の娘の結婚式から
早くも1カ月になります
娘と妻は何かと
ラインしています
わたしは時々
だじゃれスタンプで
参加しています
結婚式場で配られた二人の紹介文を
見返すと「趣味は写真」などと
ありました
わたしの影響かもしれません
わたしと娘のアイドルは
巨人・森山大道(83)です
一緒に大坂の展覧会に出掛けたこともあります
娘は東京の展覧会にひとりで行ったようです
「写真する」という言葉は
昔からあったようで
「写真を写す」ではなく
「写真に写る」という意味だったようです
幕末には、カメラを「写真鏡」といい
印画を「写真絵」といったそうです
「写真」という言葉は
フォトグラフィの訳語として生まれた
というのが定説で、常識です
一方で、そうではなく
日本の文化の流れのなかで
生成されたとの説もあります
わたしは学生時代には
結婚式場で撮影のバイトをやり
写真部にも籍を置いていたのですが
そのあたりの知識はあやふやで
自信がありません
後者ではあるまいか、と思うのですが
見識のある方、ご教示ください
生き字引のような学生時代の友も
何人か鬼籍に入ってしまいましたゆえ
彼らは、
自称・ウジェーヌ・アジェだったり
自称・中平卓馬だったりしました
京都の街角・路地裏を撮り取り歩くわたしは
1970年代ニューウェーブの旗手にぞっこん
調子にのって四条河原町の画廊で
写真展を開いたりしたものです
参考までに、
赤かぶ検事奮戦記シリーズ
「京都 時代祭り殺人事件」(和久俊三著)
より関連部分を抜粋して紹介しておきます
「鈴木さん。
〝写真〟という言葉は、本来、翻訳語ですよね。
英語で言えば、フォトグラフィ。
これを〝写真〟と翻訳したわけです。
幕末から明治初期にかけてのことだ
と思いますがね」
「それが、どうだと言うんですか?」
「鈴木さん。
わたしの話を終(しま)いまで聞いてくださいよ。
これは、私が専門家から聞いたことですが、
フォトグラフィという言葉には、〝真実を写す〟
という意味はまったくないんです。
ですから、〝写真〟という訳語をあてるのは
間違いだという結論になります」
「それじゃ、
何と翻訳すればいいんですか?」
「とにかく、
口はばったい言い方かもしれませんが、
〝写真〟という訳語は間違いです。
わたしが学者から聞いたところでは
〝光画〟と訳すべきだ というんです」