囲碁漂流の記

週末にリアル対局を愉しむアマ有段者が、さまざまな話題を提供します。初二段・上級向け即効上達法あり、懐古趣味の諸事雑観あり

やらないと、できない

2021年10月29日 | ●○●○雑観の森

 

【勝敗と関係なくとも、

 こればかりは

 ちょっと恥ずかしい の巻】

 

 

1600(慶長5)年

徳川家康は関ケ原の戦いに勝ち

ひと月も経たないうちに

全国の金山、銀山など

宝の山々を押さえた

 

15年後

大坂夏の陣で豊臣氏を滅ぼして

天下泰平の道筋をつけた

 

一国一城令

武家諸法度

禁中並公家諸法度

などなどを発布し

世の中は落ち着いてゆく

 

やがて

甲冑の着方を知らない武士が増え

売り払って空箱だけを置く者も現れた

 

武士の魂である大刀は短くなっていき

単なる装飾品となっていった

質入れして竹光を差す者さえいた

 

   ◇

 

何でも、使わなければ

退化していくのは世の常

やらなければ、できなくなるし

できなければ、カッコ悪い

 

先だって上京の折

飯田橋の新しい囲碁サロンで

〝高段者〟と対局した時のはなし

 

相手は「五段で打っている」という

確かにそこそこ強いのだが

手が正直すぎて機略に乏しい感じ

最終盤でわたしの小技が奏功し

先番4目勝ちとなったのだが

驚いたのは「最後の最後」である

 

ダメを詰め、もう打つ場所もなく

終局を互いに確認したあと

整地を始めたところ

わたしより年配の五段さんが

「ああ、うまくいかない」

と、つぶやくのである

 

白石をあちこち移動するのだが

「10目、20目の形」にならない

つまり、彼は

整地ができない!

のである

(その1点以外は高手の所作であった)

 

想像するに

碁を始めたのは年齢がいってからで

形や手筋など碁の技術を磨くのに熱心で

〝周辺〟に手が回らなかったのだろう

 

そういえば、ちかごろの〝高段者〟は

整地どころか、石の持ち方・打ち方が

ぎごちないヒトが多いのである

 

これは、きっと

ネット碁ばかり打っているためであり

また

棋譜並べなどという辛気臭いことを

やらないからだろう

 

最後まで並べて、整地までやってみる

こうすると、マラソンを完走した如く

歴史的名局をたっぷり鑑賞できる

しかも石の持ち方、打ち方、扱い方

そのあたりが洗練されていく

 

だが、すぐに上達するというものでもなし

だから、ネットでポンポン打って

それで、よし、としているのか

 

手っ取り早く強くなりたい

そういった現代の病のようなものが

こんなところにも

まん延しているのだろう

 

碁などという悠長な遊び

敬遠さえるようになるのは

当然の帰結なのかもしれない

 

 

 

▼未明の棋譜並べ

歴史的名局を追体験できるだけでなく

指先の感覚に「碁」をしみこませる効果がある

と、わたしは思っている

並べているときは、秀策にも、呉清源にも、

なっているような不思議な感覚が楽しめる

 

 

▼4年ほど前の碁(280手完、白番のAIが1目半勝ち)

中韓の棋譜はダメ詰めから最後まで並べることができる

日本の碁の棋譜は、この点で劣っている

 

この棋譜は、村正の妖刀定石がAI出現で新展開を見せた一局

黒小目に白高ガカリ、黒二間高ガガリの一連の流れは

いまでは廃定石となったようである

 

江維傑九段は「ヨセの名手」であり

終盤の手筋、手順も勉強になる

当時の最強AIに最も肉薄した一局である

▲「10目」「20目」の形の陣地をつくる

残りは1カ所だけ「半端」にする――

自分も相手もひと目で数が確認できる

(この点が大事なのである)

他流試合で、これができないと

ちょっと恥ずかしい

 

 

▲この一年、月に一度のペースで

のんびりと並べて楽しんだ

20回、30回は、これから並べるだろう

 

最後まで並べ、ダメを詰め、整地する

これで、碁のすべてが、勉強できる

(と、思っている)

 

なお、

正しい石の打ち方をしていますか?

勉強したい方は、

当ブログの過去の投稿をごらんください

2度ほど掲載しています

 

 

 

 



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