囲碁漂流の記

週末にリアル対局を愉しむアマ有段者が、さまざまな話題を提供します。初二段・上級向け即効上達法あり、懐古趣味の諸事雑観あり

できる? できない? その3

2021年11月02日 | ●○●○雑観の森

 

【勝敗と関係なくとも、

 こればかりは

 ちょっと恥ずかしい の巻】

 

 

坂田栄男九段のエッセイ「芸談 碁の作法」から――

 

石の持ち方は

人差し指と中指に

ハサんで持つ

のが普通であるが

そう持たないからといって

失礼だ ということにはならない。

 

アマチュアの中でも

持ち方は変だが

碁のじょうずな人は

珍しくない。

が、持ち方のじょうずな人は

大体つよいようである。

 

わたしなどは

元来不器用で

今でも持ち方は

下手なほうである。

 

 

 

わたしは企業組織の中で

おもに物書きとして長く働き

数年ごとに職場が変わった。

 

ある時

次の職場で気持ちよく仕事をするため

一から人間関係をつくらねばならぬ

と、見知らぬヒトたちの人物評を

社内で事前取材したときのことである。

転ばぬ先の「品定め」である。

 

「うーん……

字がきれい

ということかな」

 

しばらく考えた後、

こう言い出す人がいた。

「言うに事を欠いて……」

と首を傾げたが

よく考えてみると、

それもアリか。

 

「字のきれいなヒト」は重宝である。

確かに、仕事を進めるうえで

「きたない」より「きれい」な方が

よいに決まっている。

筆耕という専門の係もある。

 

ヒトの見方は千差万別。

どんなものでも考え方の

参考にはなる。

 

      ◇

 

翻って

当ブログのテーマ「碁の世界」について。

 

碁は勝負事であるが、

しかし所作やマナーを

ないがしろにしてはならない。

 

アマの碁は特にそうであり

わたしは勝っても負けても

気分の良くないヒトとは

最初っから打たないことにしている。

 

碁器の中の石をジャラジャラとかき混ぜたり

碁器にコンコンと打ち付けたりする悪癖がある。

かなり親しくなった頃、それとなく

「直した方がよろしいのでは」

と申し上げたことがある。

 

「そんなことを言うのは

あんただけやろ」

という返事が返ってきた。

怒っている。

この方との関係は

すぐに冷え込み

余計なことを言ったと反省し

だが疎遠やむなしと思った。

 

相手を変えようなどと

思い上がってはいけない。

「教えてほしい」と

寄ってきても

「教える」という態度では

相手は受け入れない。

とくに老人社会では

これはダメである。

 

一方で

碁は三段だが、石の持ち方は五段

というヒトもおられる。

所作が美しいのは

それだけでこちらも

楽しい気分で打てる。

 

だが、こういうヒトは稀である。

厳密に言えば

百人碁会でも数人しかいない。

「希少」はそれだけで「価値」である。

勝っても負けても清々しい。

 

 



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