囲碁漂流の記

週末にリアル対局を愉しむアマ有段者が、さまざまな話題を提供します。初二段・上級向け即効上達法あり、懐古趣味の諸事雑観あり

京都の冬日和2

2021年11月10日 | インドア・アウトドアにて

 

【鴨の流れと名人の寺 の巻】

 

 

むかし、むかし

日海というお坊さんが

京の都の寂光寺にて

七つある塔頭の一つ

「本因坊」に住んでいた

 

囲碁も将棋もじょうずで

当代の最高技量を備えていた

日海は本因坊算砂ともいい

「本能寺の変」の前夜にも

信長に呼ばれ、

不思議な碁を打っていた

天下統一を目前にした権力者は

「そなたこそ名人である」といい

その技芸を深く愛していた

 

秀吉主催の御前試合の優勝者も

やはり本因坊算砂であった

第一人者は別格扱いにして

誰を相手にしても常に白を持ち

「二十石二十人扶持」を給せられた

 

家康も、この政策を踏襲し

碁打衆将棋衆を江戸に呼び集め

技量に見合った年俸を定めた

当代筆頭者の本因坊算砂は

「五十石五人扶持」に厚遇した

 

本因坊など四家家元制度が整えられ

徳川三百年はもっぱら碁の研究のみ

やればよいことになった

 

元禄時代の17世紀後半には

実力十三段相当の傑物にて

史上最高の大名人とされる

本因坊道策の出現を見るのである

 

さらに幕末には

本因坊家には丈和、秀和、秀策、秀甫

の名人級高手が次々と現れ

そして天保四傑らが活躍した

百花繚乱のさまは頂点に達し

囲碁は「江戸の華」とまでいわれた

 

源流は いうまでもなく

京(みやこ)にあった

 

 


▼本因坊が暮らした寺は鴨川左岸にある

歴代本因坊の墓所も見ることができる

四条大橋から北上し、三条大橋を渡り

路地を少し行くと、その寺院にたどり着く

▲夏の風物詩「床」も、店仕舞いである

 



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