【本因坊秀和の技芸の巻】
白28と消して白30は、黒の受け方次第で、黒29の一路右にツケるのを狙った手
この後の攻防を予想してください
右上は黒の石数が多いところですが、右辺が手薄で、白が暴れ回りそうな予感がします
■お江戸の碁界で最高の舞台は、家元四家(一部の外家を含む)の七段(上手)以上が出場する「御城碁(おしろご)」でした。
年に一度、将軍の前で、日頃磨いてきた技術を披露します。
禄をいただいての士分扱いに対する「義務」であり、その成績が家格と名声を定めました。
なお、将軍によっては欠席する場合も多くなり、その際は代理で老中などが見守りました。また時間無制限だったため、あらかじめ打った碁(下打ち)を並べていくだけ、というスタイルに変わっていきました。
下打ちの間は「缶詰」の定めがあったことから「碁打ちは親の死に目に会えない」という言葉が生まれました。
230年余り続き、計67人が出仕して計536局があった、と記録にあります。
■御城碁のハイライトは、御城碁19戦無敗の空前絶後の記録を残した秀策でした。
しかし彼は、若くして亡くなってしまいます。
跡目と決めていた兄弟子・秀和の悲嘆は大きく、幕末の混乱によって自身の名人就位の道も絶たれます。