【本因坊秀和の技芸の巻】
黒31に、白32は筋
しかし、少し無理なように見えます
■秀和はこの碁の3年ほど前、名人碁所の12世本因坊丈和から後事を託されます。
丈和が退隠すれば、最高権力の座を争っていた井上因碩(幻庵)がすぐさま碁所願を出すのが目に見えていました。
その対策が、土屋秀和の跡目抜擢でした。
かねて嘱目していた20歳。六段の若者を跡目に据え、予期される争碁に備えました。
■1842(天保13)年5月、因碩を争碁で降し、名人碁所を断念させます。
■この後、秀和は自身の名人碁所の機を待つことになりますが、ここに至ってもさまざまな手を試しています。
■本因坊家は本所相生町、安井家は両国薬研堀にあり、両家は親密でした。
この頃、秀和は本因坊家跡目、算知は安井家当主になっていました。
秀和は算知より10歳年下ですが、手合割は既に逆転し、秀和が白を持っています。
ただし一度は互先に盛り返したことがあり、それは当時の碁打ちで算知のみ。
御城碁の通算成績だけを見ると、算知の先番5勝、後手番1勝3敗と、秀和を圧倒しています。
算知の豪力を、秀和がどういなすのか。
巷の碁打ちの耳目を引いていました。