【北風吹き抜く寒い朝も の巻】
■1902(明治35)年1月。今から117年前の冬は、恐ろしい寒さだった。北海道旭川市で日本最低気温マイナス41.0度を記録し、八甲田雪中行軍遭難事件が起きた。
■北風吹き抜く寒い朝ーー。しかし盤上では、稀に見る壮絶なバトルが繰り広げられた。先番・田村保寿(後の本因坊秀哉)vs本因坊秀栄。164手完、白中押し勝ち。
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■田村は明治7年、東京・番町の生まれ。幕臣(御家人)の父の趣味から、8歳で碁を覚え、10歳で方円社に入塾。後に「終身名人制の最後の名人」となる。
■この対局は、田村27歳、秀栄49歳。「名人の中の名人」秀栄に対し、先で打てたのは田村ただ一人。次代の担い手として確固たる地位を築いていた。
■2子から先になったのは5年前。10局打って秀栄の5勝3敗1持碁1打ち掛け。
■田村は負け越しているとはいえ、よく食らいついている。だが、この一局は秀栄の横綱相撲。終盤、一気呵成に攻められ、粉砕された。手数が進むにつれてスリリングな展開が加速する面白い碁である。
▼白の秀栄側から見た棋譜。黒9までは当時の流行布石
▼白模様が脅威になってきた。黒17以下の手順が大斜定石の主流だったようだ
▼左辺は黒地が大きいようだが、白42となり白も手厚い
▼白64から暗雲が立ち込める
▼攻め合いかコウ争いか。スリリングな展開
▼白は右辺で3連打を打ち込む
▼苦しい黒が死に物狂いで抵抗する
▼左上にコウ立ての宝庫。白は一気呵成の攻めで、黒を粉砕してしまう。黒のコウ立ては尽き、投了