【水に流す? 流さない? あなたならどうする? の巻】
■もしもの話である。
■(家族以外で)「なんらかの関わり」あるいは「交際関係」のある人物から、無礼な態度・不快な態度・腹の立つような態度をとられたとする。その後、許しを求めてきたら、あなたならどうする?
① 許して「水に流す」
② 立腹せず、しかし「長く記憶に留め」、今後は一定の距離を保つ
♪ 私のどこがいけないの
それともあの人が変わったの
残されてしまったの 雨降る町に
悲しみの眼の中を あの人が逃げる
あなたならどうする
悲しみの眼の中を あの人が逃げる
あなたならどうする
あなたならどうする
泣くの歩くの 死んじゃうの
あなたなら あなたなら
(作詞・なかにし礼、作曲・筒美京平)
泣くの歩くの 死んじゃうの
あなたなら あなたなら
(作詞・なかにし礼、作曲・筒美京平)
◇
■①を選択するヒト。善人。
しかし「あったことをなかったことにする」なら、それは「もう一度やってくれ」というサインになる。寛大な態度とは「これぐらいの勝手は自分にも認めてもらい、ヒトにも認めてやる」という美しくも愚かな?博愛精神。
■②を選択するヒト。悪人。
他人に厳しいので、自ずと自分の悪癖・欠点・悪徳・嫌味にも目を向けざるを得ず、多少は自己矯正するチャンスが出てくる。とはいえ、それを完全な形で実現できるヒトはいない。だが、無益とも言い切れない。
他人に厳しいので、自ずと自分の悪癖・欠点・悪徳・嫌味にも目を向けざるを得ず、多少は自己矯正するチャンスが出てくる。とはいえ、それを完全な形で実現できるヒトはいない。だが、無益とも言い切れない。
■さて、あなたは、どちらですか?
■例えば、政治批判。もうすっかりおなじみになった光景。権力者は「いずれ世間は忘れるだろう」とタカをくくっている節があり、取り巻きは次から次へとヘマをやらかす。「もう一度やってくれ」のサインが見え隠れする。失言・暴言・妄言(=本音開陳)の無限地獄が止まらない。「王様は裸だ」
◇
■わたしの碁歴は「実質5年」に満たない。せっかく半世紀前に覚えたのだが、休場が長過ぎた。再開した今も、週1~2日しか実戦で打っていない。「初段合格」レベルの詰碁問題集も満足に出来ず、よく間違う。最近サボリ気味の棋譜並べも、懐古趣味ゆえに「古碁」が中心だ。
■実力は「1級」か「初段」と自分では思っている。だが「四段」で打つべしといわれ、そうしている。それで他流試合も含め、そこそこに打てているから、不思議である。
■最近、少し分かったような気がしてきた。
■まず、負けず嫌い。だが習慣として「不快の原因を出来るだけ忘れないようにしている」ためではあるまいか。
■相手にもよるが、局後に序盤だけでも並べ返す。感想を述べあい、相手の考えを聞く。時々だが、手帳にメモする。従って、ヒドイ負け碁の「まずかった手」はほぼ覚えている。「実戦→悔恨→記憶→実戦」である。「打ちっ放しは、同じことの繰り返しになる」と考えている。
■好敵手Y五段に「ユルミシチョウ」で勝ったことを、先日このブログに投稿した。「少し前に『してやられた手筋』を、お返ししただけですよ」といったところ、相手は全く覚えていなかったのには、ホント驚いたものだ。
◇
■「碁の強いヤツは悪人だ」
■文壇名人・坂口安吾は、そう喝破した。紳士然とし温厚そうな高段者は、悪魔の如くに盤上を打ち回す。相当な経験と修練を繰り返したに違いあるまい。「19路盤」は魔界である。
わたしは、弱いけど、きっと「悪人」です。