囲碁漂流の記

週末にリアル対局を愉しむアマ有段者が、さまざまな話題を提供します。初二段・上級向け即効上達法あり、懐古趣味の諸事雑観あり

銭湯と人情

2021年07月20日 | ●○●○雑観の森

銭湯すたれば

 人情もすたる

   田村隆一(詩人)

 

 

セントウ流行れば、センソウ廃れる

 ~ 人の世は交流があってこそ の巻】

 

 

緊急事態にて碁会が2カ月休みとなった今春

ひまつぶしには寺社巡り銭湯巡り

それぞれ二桁を超えてしまった。

 

「銭湯」は、

客から銭を取って入浴させる商売である。

江戸の風呂屋は2階に休憩所がこしらえてあり

湯茶を出したり、菓子を売ったりしていた。

ただし2階があるのは男湯だけだった。

将棋盤や碁盤も置いてあり

庶民の社交場・娯楽場であった。

 

江戸の湯屋は六百軒あった。

湯銭は享和年間(1801~03)ごろまで

十文(120円ほど)と安かったが

幕末には二十四文から四十文に値上がりした。

当時は湯を少し入れて蒸気を立てて

蒸し風呂気分を簡易に味わうスタイル。

のちに湯をたたえて入浴する温浴式に変わった。

 

湯屋は格好の交流施設であったから

賑わいのなかに噂話が飛び交って

庶民のおしゃべり=情報交換の場であった。

 

現代の銭湯には

「会話は出来るだけ少なく」の貼り紙があり

声の大きなおしゃべりは注意の対象。

サウナは会話禁止である。

 

東京都内の銭湯は

前世紀のピーク時に2600軒を超えたが

いまは489軒を数えるのみ。

随分減ったとみるか、

まだ踏ん張っているとみるか。

 

         ◇

 

子どもの頃

家に小さな風呂があったのだが

風呂好きの父に連れられて

よく銭湯にも行っていた。

 

まだ日が高いうちだったから

沸き立ての湯にすぐには入れず

蛇口をひねって冷水を足しながら

大人が長い木の板を操って

湯を冷ましていた光景が

目に焼き付いている。

 

昭和30年代だったから

身体に大きな傷のある人もいた

腕や足を失っている人も少なくなかった。

親からそのワケを聴いたのだろう。

子供心にちくり胸が痛んだのを想い出す。

そんな話をどこでどうしたのか

父子で背中を流し合ったのも懐かしい。

 

 

 

当時は混浴が珍しくなかった

お上が取り締まっても徹底されなかった

壁の穴から女湯を覗いている男がいる

江戸屋敷勤めの地方藩士らしい

何事にも大らかな時代だった

 

 

 



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