囲碁漂流の記

週末にリアル対局を愉しむアマ有段者が、さまざまな話題を提供します。初二段・上級向け即効上達法あり、懐古趣味の諸事雑観あり

アドラーに学ぶ/下

2020年07月22日 | ●○●○雑観の森

 

もう一つ。

頑固だが、意固地にはなるまい、

と思っている

わたしのココロに刺さった一文。

 

第5章 なだらかな坂をゆるゆるのぼる

「何者」かになんてならなくてもいい ~ より

 

         ◇

 

人は誰もが「中継者」

人生は、あるところから始まり、あるところで終わります。トシをとると、人生が下り坂のように見え、いまだ何も成していないことに物足りなさを感じることがあるかもしれません。ただ、自分一人の人生だけで何かをまっとうしなければならないと考えたり、人生をのぼったり下ったりという坂道だけでとらえたりするのは、少々物足りないところがあります。

私が提唱しているのは、自分は中継者だという発想を持つことです。

仕事を引き継ぐ時、自分の人生を終える時、次の世代にバトンタッチをすると考えるのです。

私は、この発想が、アドラーのいう人類の進化ではないかととらえています。

たとえばAさんの一生は、ある時期から下り坂になっているかもしれません。しかし中継者として見た時には、上り坂の支援者でもある。バトンを渡し続けていくと、人類は相対的に上り坂を歩いていて、自分の人生はそのなかの一幕でしかないと思うのです。

人類の進化という視点で見ると、私たち人間は、明らかに上り坂を歩んでいます。命は、自分限りではないのです。私たちは命の連鎖、かけがえのない一幕の主演者です。そして次の舞台へバトンタッチする橋渡し人でもあるのです。

人はみな中継者です。

中継者とは、400㍍リレーにたとえると第二走者か第三走者にあたります。私たちが親や先祖から受け継いだバトンを、次にどう渡すのか。ぜひこのことを忘れないでほしいのです。

 

         ◇

 

わたしは4年近く前に60歳になり、

長期休場していたリアル碁を始め、

昨年の年明けからブログを始め、

こういう考え方に

やっと共感できるように

なってきた。

が、人生の先輩たちの中にいると、

実感させられる。

まだまだであるな。小僧。

 

     * * *

 

本拠地同好会で8月と10月、

級位者向けミニイベント「仮称・楽しく学んで入段しよう」

を開催すべく、企画・立案中です。

対象の級位者は十数人ですが、疫病拡大の状況下では

どこまで参加してもらえるかも分かりません。

たとえ数人であっても、感染対策を十分にとって

元気アップのきっかけになればと思っています。

ただし、高段者の皆さんに講師を打診するも

二つ返事で引き受けてくれる方がおらず……。

ヘボながら「カベ突破道場師範代」がやるしかないか、

と思案している状況ーーさて、どうしたものか。

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。