【ともすれば〝陰湿なイジメ〟に通底する】
前回投稿で〝卑怯者の習性〟について明らかにした
弱い人間は、群れを作らないと安心して生きてはいけず
その集団はいつも狂気を発し、少数弾圧が常である
戦争という名の「国家的強盗行為」も、その究極の姿だ
多数の暴力性は、頭の中心部に置いておくべきである
わたしは義務教育期間に2回の転校を経験した
いずれも決まって最初に陰湿なイジメを受けた
物珍しさもあり「集団でひとりをイジる」のである
苦痛は、精神的であったり、肉体的であったりした
その体験が、我が身を強くし、またトラウマにもなり
半世紀経った今でも、ときおり夢に見ることがある
いずれも相手は多数、こちらは少数である
多数には安全があり、少数には危険がつきまとう
経験的に言えることは、多数派は凡百だ、という事実
そして少数派は、平凡という枠組みから、はみ出している
百人が集えば、百通りの考えや感じ方があるが、
ひとつにまとめるには意見のすり合わせが前提になる
議論そこそこで、すぐ挙手で決めようなんていうのは
まさに愚の骨頂であり、愚か者の常套手段である
統一地方選挙が終わり、大枠での変化はなかった
この国の民主主義が劣化したこの十年だが
世界から取り残されている感がますます強まった
根本原因は「悪しき多数決万能主義」にある
と、わたしは見ている
日々、多数決の怖さを感じます。
また、多数決が民主主義だと勘違いしている方も多くいらっしゃいます。
母体数が違うのに、多数決で決め、多くの人たちが自分の特になるようにしめけ、少数の人達はいつまでも犠牲を強いられることがあります。
つまらない話で言えば、町の役員が20年に一回と二回。
この非合理性に対し、二十年に一回の人々は母体が大きいのでいいます。
「悪いことばかりじゃない。」と。
仕事や合理性を求めることなく、これまでの風習のまま改善せず、二十年に二回役員が当たる人々に犠牲を強いて、それでもいうのです。
「多数決だから、平等だ。」と。
記事をありがとうございます。
深く考えさせられました^^