囲碁漂流の記

週末にリアル対局を愉しむアマ有段者が、さまざまな話題を提供します。初二段・上級向け即効上達法あり、懐古趣味の諸事雑観あり

多数決のまやかし

2023年04月25日 | ●○●○雑観の森

 

 

【ともすれば〝陰湿なイジメ〟に通底する】

 


前回投稿で〝卑怯者の習性〟について明らかにした

 

弱い人間は、群れを作らないと安心して生きてはいけず

その集団はいつも狂気を発し、少数弾圧が常である

戦争という名の「国家的強盗行為」も、その究極の姿だ

多数の暴力性は、頭の中心部に置いておくべきである

 

わたしは義務教育期間に2回の転校を経験した

いずれも決まって最初に陰湿なイジメを受けた

物珍しさもあり「集団でひとりをイジる」のである

苦痛は、精神的であったり、肉体的であったりした

その体験が、我が身を強くし、またトラウマにもなり

半世紀経った今でも、ときおり夢に見ることがある

 

いずれも相手は多数、こちらは少数である

多数には安全があり、少数には危険がつきまとう

経験的に言えることは、多数派は凡百だ、という事実

そして少数派は、平凡という枠組みから、はみ出している

 

百人が集えば、百通りの考えや感じ方があるが、

ひとつにまとめるには意見のすり合わせが前提になる

議論そこそこで、すぐ挙手で決めようなんていうのは

まさに愚の骨頂であり、愚か者の常套手段である

 

統一地方選挙が終わり、大枠での変化はなかった

この国の民主主義が劣化したこの十年だが

世界から取り残されている感がますます強まった

根本原因は「悪しき多数決万能主義」にある

と、わたしは見ている

 

 


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2 コメント

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お邪魔します^^ (Ranchoです。)
2023-04-25 12:59:01
おっしゃる通りですね。
日々、多数決の怖さを感じます。
また、多数決が民主主義だと勘違いしている方も多くいらっしゃいます。
母体数が違うのに、多数決で決め、多くの人たちが自分の特になるようにしめけ、少数の人達はいつまでも犠牲を強いられることがあります。
つまらない話で言えば、町の役員が20年に一回と二回。
この非合理性に対し、二十年に一回の人々は母体が大きいのでいいます。
「悪いことばかりじゃない。」と。
仕事や合理性を求めることなく、これまでの風習のまま改善せず、二十年に二回役員が当たる人々に犠牲を強いて、それでもいうのです。
「多数決だから、平等だ。」と。

記事をありがとうございます。
深く考えさせられました^^
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Unknown (漂流男)
2023-04-25 18:03:47
コメントありがとうございます。見ざる聞かざる言わざるの風潮が、この国を覆い続ける中、まったく無反応でも仕方がありませんが、思いを同じくする方に意見表明いただけるだけで、投稿したかいがあります。これからもこんな独り言を続けてまいります。
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