【弁慶と牛若丸の出会いの地?の巻】
■鴨川右岸の松原橋西詰から南北を望む。
西側には禊川(みそそぎがわ)が流れている。
ともに流れは穏やかである。
強い陽光に秋風がそよいでいる。
ヨットパーカーをリュックに仕舞込む。
中国人家族が楽しそうに歩いている。
■松原通は、平安時代の五条大路で、橋はかつての「五条橋」。
嵯峨天皇の勅命で清水寺参道へ続くよう架けられた。
当時、両側に松並木もあり「五条松原」と呼ばれ、
当時、両側に松並木もあり「五条松原」と呼ばれ、
人の通りが絶えなかった。
秀吉が方広寺大仏殿造営の際、
平安京・六条坊門小路(現在の五条通)に橋を架け替え、
新橋を「五条橋」と命名した。
旧橋の名称から「五条」が外れ「松原橋」と呼ばれるようになった、
といわれている。
このため、牛若丸と弁慶の決闘伝説も実はここだった、との説もある。
850年ほど前のことである。
2019年11月9日(土) 京都てくてくの記