【碁は「手談」なり、対局中は口を閉じよ!の巻】
■この数年、計12カ所の碁会所・囲碁サロンを訪れた。
■「商売」だから、同好会とは雰囲気が違う。フリー客も多く開放的だったり、常連ばかりで暗かったりはする。ほとんどが後者だが、初めての客にとっては「敷居が高い」ことだけは共通している。
それでも半日遊んで1500~1000円。地方都市なら700円なんてところもある。恐るべき囲碁のコストパフォーマンス。
■わたしにとって碁会所に行く目的は「道場破り」。
期待するのは「真剣勝負」である。
気の置けない関係の「お遊び碁」や地域の同好会の「自由対局」は、それはそれでいいのだが、緊張感を求めたい時だってある。(例会では、わたしも口出ししたくなることも。ただし対局のゆるい空気感があり、対局者の了解がなければ、厳禁と思っている)
常連ではないわたしの碁会所の入場は、少しの入場料を支払い、見知らぬ碁打ちとの「斬り合い」。
アマ大会への参加も、同じようなものだ。
■そもそも「大人の遊び」なんてものは、真剣にやらねば面白くない。
サイコロだって、花札だって、トランプだって、そうである。
必要最小限の言で、事を進めるから、いいのだ。
ただし、おしゃべり碁や、会話を楽しむマージャンを、ダメと言っているわけではない。
ちょっと違うテイストであり、別物だと思う。
■さて、そこで、碁会所に求めるものは何かと言えば、
「マナー・所作をわきまえた客層を抱える」の一点である。
■わたしは、いつもフラッと入る。
少し緊張するが、最初が肝心である。
席亭や従業員とあいさつした時の感じで大体は分かる。
「どれぐらい(の段級位)で打たれていますか?」
「自分は初段と思っていますが、地域の集いで四段で打てと言われます」
「じゃ、とりあえず四段ということで」
となる。
どこでも、これで大体打てる。
■空間を見渡してみる。
「〇か」「×か」「△か」。直覚した時点で評価はほぼ固まる。
分煙していない空間。ガヤガヤと話し声が大きい空間。これはまずダメ。
結局、12カ所のうち、二度三度訪れたいと思ったのは3カ所しかなかった。
居心地がいいか、悪いか。
ただ、それだけである。
◇
■全国といっても、まだ京都、東京、大阪だけ。いずれ時間ができれば、青春18切符を手に地方都市へ「発掘の旅」に出たいと思っている。
■それはさておき、主題の「居心地」だが、それを言葉で説明すると長くなる。
端的にいえば「席亭の運営姿勢」に尽きる。
■例として二つだけ上げておく。京都・大阪で有名な某所である。
◎ また行きたくなる碁会所 (出入り禁止令の巻)
→ 対六段戦。相手は強い。対局途中で「おしゃべり」が始まる。「その手はダメだな」「おっと、それはない、ない」「小さい手、1目損だよ」「これで10目は開いている」
後で席亭がやってきて、小声で「すいませんでした」「うちも迷惑しているんです」と頭を下げた。
しばらくして行ってみると、例の「六段」の姿が見えない。
席亭は穏やかでフレンドリーオーラのある年配女性だが、彼は「出入り禁止」の処分となったようだ。
ちなみに年数回、顔を出すようになったが、彼女とのおしゃべりが主目的である。
× 二度と行かない碁会所 (牢名主の講釈の巻)
→ 相手は八段格。席亭は年配だが六段。「先生」と呼んでいる。途中、わたしがヘマをしてスミの石が死んだ。そこで相手はなんと、いきなり石を崩して「解説」を始めた。わたしが「投了」を口にしていないのに、である。
以下、相手の言。「序盤は初段レベルかと思ったね。途中からの打ち回しは三段、四段の力が確かにある」。あなたは何様か?
近くで見ていた席亭は「牢名主の講釈」にうなずくだけである。
2016年末に2度行ったきり、もう足が向かなくなった。
誤解のないよう断っておくが、前者が良く、後者がダメ、というわけではない。
前者でも「観戦者の口出し」が少し残っているが、後者には何故かそれだけはなかった。
また後者の「牢名主の講釈」の後、わたしは「未明の棋譜並べ」を習慣とし、しばらく続けた。
道場破りの想定外の効用と言うべきであり、大いに感謝せねばならぬ。
だが世が世なら、おっちゃんの指と手の平が、それがしの脇差で泣き別れになるはずだった。
彼もまた幸運であった。
★ご参考
一度行って気持ちよく打てた東京の碁会所。とても親切にされ「優」評価だが、想定外の刺激はなし。
これからも上京すれば、どちらかに行くつもりだ。
「日本棋院 有楽町囲碁センター」 東京都千代田区有楽町2-10-1 東京交通会館9階
https://www.nihonkiin.or.jp/sisetsu/yurakucho/common_play.html
「碁席 秀策」 東京都新宿区歌舞伎町2-38-2 第2メトロビル3階
http://www9.plala.or.jp/bohno/